ぼくリメ#7

 同人ゲーム着々と製作中の巻。うーん、個人的にはこういうテイストはちょっと受け付けないってことでほぼ本決まりってとこだが、おそらくテーマがゲーム作りだからストーリーもギャルゲ仕立てにしてますってメタ構造なんだろうと思う。作品全体の雰囲気はそういうギャルゲ仕立てのどちらかというとおふざけがメインでありながら、ところどころシリアスなシーンを混ぜ込んで、そこに狙ったようにメッセージ性を込めるという構成。なので、その仕組みを把握して客観的に構造やメッセージ性を読み解けばそれほど忌避感はないのだが、それにしても…といった感じ。
 ここに至って不思議に思っているのは、こういういかにも萌え作品です…という仕立てにするのは、一部の作品を除いて今ドキの作品ではもうおそらく飽きられたか時代遅れと考えられて極力媚び要素は押さえるように作ってある(それでも実写ドラマに比べると明らかに現実の風景とは程遠いのだが)傾向にあると思っていたので、なんでこういう昔のフォーマットをわざわざ引っ張り出して、しかもそれがある程度原作が売れているのか?ということ。原作のラノベは部数こそ把握していないが、シリーズで10巻以上刊行されていて、そこそこ売れてるという判断。出版不況の時代、第1巻を出してそれがヒットしなければ続刊を出すような余裕が出版社にあるとはあまり思えないから、それなりにこのスタイルが刺さる層がいるという作者の読みはそこそこ当たったということになる。ならこの作品の支持層が、この作品のどこに魅力を感じているのか?というのが一つの疑問であって、見当をつける段階から結構難しい感じ。前にも言ったようにリゼロの死に戻りは就活のお祈り繰り返しだろうと推測したが、ちょっと前の蜘蛛はこれまた支持理由が読めずに困っていたのだが、それでもスクールカースト描写に共感(別に理想が描かれているというのではなく、こういう状況に自分は生きてるという実感が得られるという意味で)してのことかも…と自信は全然ないが、いちおういくつかの候補ぐらいは見つかる。
 なので、この作品の魅力が、やり直し部分にあるのか、もしかして逆にこの一昔前の萌えアニメテイストにノスタルジーに近いものを感じて萌えアニメオタクのシニア層に受けているのか、中高生が新鮮に感じてるのか、自分にとってもかなり判断がつかない感じ。物語での時間遡行前の2016年も原作第一巻の刊行年度2017年も経済的に大打撃を受けそれで不幸になった若年労働者が大量に出た…というわけでもないし、2006年がそんなに良かったことの多かった当たり年でもないし、むしろ2008年のリーマンショック前夜だから不穏そのものだろうみたいな感じだし、この作品がなにか新しい要素を取り入れてそれが読者に受けたのではなく、むしろ昔のテイストを前面に押し出して売れたという現象がどうにも判断不能

現国アニメ#8

 道路工事と災害救助の巻。冒頭の戦艦云々も結局今回は話を膨らまさないのかい!ってなもん。しかし産業革命前の技術で連装砲はないんじゃね?。道路工事もおそらくローマ帝国が下敷きなんだろうけど、あの魔獣の重量を支えるのも本当に?ってな感じ。都市建設の土盛りに魔法を使うとか言ってた気がするから、道路工事にも魔法を使うのかと思ったんだけど、それはないという描写っぽい。でもそれで完成はいつになるんだろ?。
 災害救助もよくわからんのが、前回津波に関しては大昔からの伝説が残っていたぐらいなのに、森の民にあそこは土砂崩れが起きるから家を建てるなぐらいの伝承はなかったのだろうか?。あの国だと異種族が共存している風なのだが、ダークエルフの受けた災害に、他の種族がどれだけその悲しみに共感するんだろ?というのは気になった。差別感情は描かれてなかったけど、異種族だから他人ごとなのか、同じ国民なのだから同情が集まるのか、まぁ今回そのへんは全然描かれてないのでなんともだが、日本だと在日韓国人には政府が差別を煽ってるぐらいだから参考にならないし、他国だと異民族はこれまたいがみ合いの原因になってるぐらいなので、それらのメタファーだとしてどうにもわからん。いちおうファンタジーだから理想を描いているのだろうけど、それでも異民族や外国人ですら現実には偏見があるというのに、差別はない(という設定)にせよ、そう深く思いやるって程の共感があるというのも考えにくい感じ。ましてや王国を再建中で人々の生活に余裕はないのだから、やはりいいとこ他人事なんじゃなかろうかという気はする。
 うーん、なんか回を重ねるごとにツッコみどころが多くなってくる感じでどうもしんどい。結局のところ逆説的なアベスガ政権の写し鏡でしかなくって、社会批判というか自民盗の悪政批判以上の価値は無いんじゃないだろうか。まぁそれだけでも大いに意味はあるとは思うんだけど。