聖女#8

 聖女の能力が方々で発動する話。サブタイの覚醒というイメージからは、もっと主人公が聖女であるということを強く印象付けるイベントがあるのかと思っていたのだが、そういうものでもないらしい。だが、なんつーか、例えば鑑定で聖女と認定されたから聖女であると示されても困るし、実際に聖女のスキルを持っていたとしても、それをどう使うかが問題なのであって、その意味では今回の流れはそれほどおかしいものでもない。マザーテレサは別に修道女としての能力は他の修道女と人間として何ら変わりがあるものではなく、その知識や能力をどう使ったのかで聖女と崇め奉られているのであって、いわばその心がけというか、やはりどう行動したかで、他人がそう呼びならわすのであって*1JRPGのようにいかにも資格のように扱われるというのはどうにも的を外しているような気はする。そういう点で、今回主人公がどう思ったのか、その心の在り方に反応して魔法が発動するというのはそういう構造を視聴者にわかりやすく示しているのであって、さすがにあんな演出は子供だましではあるのだが、ただ象徴としてあのように描くのは間違ってないとは思う。
 しかし嫌ボーンかよ。そりゃわかりやすいんだけどさぁ。

擾乱#8

 いろいろ亡くした主人公が東京に舞い戻る話。なんかぼんやり眺めていた。前回自暴自棄になった主人公がどう心の整理をつけるんだろというところで見たら、まぁフォーマット通りではあるんだけど、妙にしんみりしてるというか、結構胸に沁む感じがして穏やかに眺めていられたというか。
 っつーか、今回割と@種崎敦美の演技が妙に耳に残る感じ。しんみりといえば聞こえはいいが、ともすれば沈みがちになる雰囲気を緩和してそれでいて殺伐とした雰囲気はちゃんと残しているという。種崎の演技がそれほどこなれてるって感じはしないんだけど、三森とのバランスがよくてさすがに売れっ子やなという感じ。むしろ主役を食ってない?という気はするが、ここは主人公の存在感を示してはいけないところなので意識してやってるんだろうなという。

モリアニ#19

 民主派議員登場の巻。討論から逃げることもしないし、批判には受けて立つところなんかは逆説的なアベ批判なのだろうが、公園の件で車いすがどうのこうのといったところは、なんか現実が時代を急速に押し流してしまった感があって、例えば、無人駅に車いす用エレベーター云々では駅員の扱いはともかく、障害者サマの利便性に税金が投入されて、その結果貧乏人がさらに貧乏になるという構造はどー考えるの?みたいなのが頭を離れなかったというか。当時の大英帝国バリアフリーの考えがあったとも思えないんだが、というか、同じ肢体障碍者でも特権階級はお抱えの世話役がいただろうし、貧困層の障害者はそれこそ産業革命当時平均寿命15歳の状態を物語の当時脱却できてたの?と考えたら、おそらく本当の支援になるのは公園の整備ではなかっただろうといった感じ。
 ただ、シナリオとしては2クールに入ってしばらく個人的には不味くなるばっかりだと感じていたところから持ち直した感じ。なんというか物語全体を作るにあたって、シャーロキアン的設定と社会問題とドラマ性と物語としての面白さ、謎解きあたりの要素を組み合わせるのは難しいんだろうなという気はする。そして社会問題がおそらくは日本人向けに日本の問題を織り込んでいるもんだから、それが舞台設定とのかみ合わせがあんまりよくない感じ。着想としてはシャーロック側が善、モリアーティー側を悪としてる本家の設定を逆転させてピカレスクロマン的なにかを作り上げるのが主だろうから、まぁそのへんその思い付きを貫徹するならせいぜい苦労してくださいよみたいな。オモロイところも失望するところも混濁してる感じで、そりゃ万人を納得できるものにはならんだろうなという感は強い。

*1:そういう意味では欠損患者を直した翌日に畏敬の念で遇されたという時点でもう彼女は聖女なのだが。