聖女#4

 主人公が欠損患者を一斉に治してしまう話。ラブロマンスを主軸にストーリーが進行していくんだろうなと思っていたから、それなりに宗教に向き合うとはちょっと驚き。まぁそうでなくては面白くないし、実際に原作が支持されてそれなりの人気になっていないだろう。
 今回の話、まぁ別にそれを意識したというワケではないんだろうが、やはりそれまで消息不明だったキリストが突然のちの弟子になるものに語り掛け、初期は一対一の対応で人を救っていたのが、そのうち集団で奇跡をおこない、徐々にメシアとしての風格を増すあの過程を駆け足で追っかけてるように見える。実際にキリストが奇跡を起こしたのかどうかは、まぁフツーに考えて、キリストがこう弟子を引き連れて方々で人々を救って回るためには、当然その集団を維持するための補給をなんとかしてたわけで、それが貧しい村でイエスから提供されたのを例えば水がワインに変わっただの、イエスがパンを無限に出し続けただのという風に施しを受けたものには奇跡に見えたんだろうと思うのだが、まぁ別にこの作品だとファンタジーなのだから、ほんとうに奇跡を起こしてしまってもいいだろう?という話ではある。手品だって種を明かせば不思議でも何でもないのであり、奇跡を奇跡のままで描くからこそ伝わるものもあるという。
 しかしなんだな、ヴィヴィでもAIに課せられた使命というのは、おそらくウェーバーが述べた、プロテスタンティズムと資本主義の精神における、天職Berufに相当するものだと思うのだが、そういう高潔な精神性というのは、決して科学的に説明されて理解されるのものではなく、結局のところ宗教の範疇で語られなければ万人に納得してもらえないというのは興味深い。ヴィヴィにおけるエステラの自己犠牲も、今回の主人公の奇跡も、どちらにも合理性から反する*1ことであって、それは科学的態度ではない。科学で説明できないのであるから、その根拠にはそういうものを超越した存在を仮定するしかなく、それが中世西欧では神であったりしたのだろう。
 目を現代日本に転じてみると、もう在来宗教は酷いことになっていて、旧来の宗教はもはや日本人を救うという機能からはかけ離れていて、葬式宗教に落ちぶれた仏教はもはや保身しか考えておらず、神道創価はむしろ権力と強く結びついて搾取側になってしまってるという有様。キリスト教もそれなりに救済行為をやってるのかもしれないが、子供食堂だとかフードバンクのように、むしろ宗教ではなく個人の善意が貧民救済の主体となっている様子が報道で多く耳にするようになっているから、アレ?、宗教団体ってどんな存在だっけ?という始末。自民盗の搾取も真綿で首を締める様なものだから、まさに日本国民の下層は茹でガエルのように、搾取をあまり実感しないで絞られてるわけで、そろそろ自民盗の牙がはっきり見えてくる段階だと思うが、結局のところアベが復帰して再退陣するまでの終盤2~3年ほどは、社会問題としてアニメが政権批判をしていた印象があるのだが、この作品が執筆もされ、それがなろうにてそれなりの人気を獲得した背景には、もはや政治が変わることに何の期待も持てず、その絶望を個人の意思や努力で何とかしようというよりは、もはや助けを欲しているという段階に来ているという気がする。簡潔に言えば、「癒し」の物語ではなく「救い」の物語を求められるほどに日本の庶民が追いつめられてるというワケ。ヴィヴィもそうだしこの作品のセイも、一般人とはかけ離れているんだもの。同じ能力を持ってるはずの対等な人間が共同体を構成して社会を作り上げるというのではなく、能力的には同じなのに階級など格差が存在し、それはもう平等神話では解決することなどできず、人間よりは高次の存在に救ってもらうしかないという、民主主義の完全敗北状態。本当ならこんな物語に涙してる場合じゃないんだけどな。でも自分にとってはこの作品がネットではそれなりの支持を得て、その結果としてアニメ化されたという事実が、今(というより時間的にはもうちょっと前に)日本にとっての明らかなターニングポイントが訪れていたんだなという指標になって、なかなか感慨深いものがあった。

*1:経済的に豊かになるとか出世するとかの