ヴィヴィ#13

 ヴィヴィの、歌で人を幸せにする使命とやらを、ヴィヴィが歌でAI達を停止させて救ったという構図と一致させて、歌詞お披露目END。
 さすがに人類が救われてよかったねみたいな能天気なシナリオにしてなくて、エンドロールラストのカットでは、ヴィヴィによって救われたはずの人間がAIを踏みつけにしていたから、まぁ人間(上級国民)はそもそもAI(底辺労働者)を自分と対等の存在と思っていなかったから、生粋の差別者だし、だからこそ彼らは救われたことにも感謝しないし、AIがなぜ反乱したのかに考えが及びもしないし、別に今回危機は回避されはしたが、それで人間たちの認識が変わることはありませんよという提示。ヴィヴィの奮闘で人間が救われてよかったよかったENDなので、その余韻に水を差すだけで終わってしまったら後味が悪いので、AIを踏みつけにしてる人間を別の人間が止めるというカットを挟んで〆を整えているけど、基本作品の主張は前回で終わっており、HEにするために今回の話を用意したけど、今回の救われる結末だけを見て勘違いする視聴者のために、これは決してHEではないんですよという念押しを仕込ませてると思うのだが、まぁおそらく誤読はないはず。結局AIの暴走を止めるべきと判断してその実行に貢献したのは反AI組織のトアクであって、最初の話で議員が出てきてるから、この世界に統治機構である政府がないはずがないんだけど、その政府はこの作品に、あの議員以外全く登場してないので、AIの反乱がなぜ起きたのかについての認識もしておらず、ヴィヴィが奮闘してなければ滅亡してたと認識しているはずがないので、社会は変化してないはずで、そしてエピローグで髪を切ったヴィヴィがステージに立つシーンも前と変わらない光景という風にしてるのもそういうことなんじゃないかな。
 しかし、もう全体の構造からしてエグいっていうか、ヴィヴィにシンギュラリティ計画が押し付けられるのも、人間がどうAIに接したから反乱がおきたのかという原因がすっぽり抜け落ちて、とりあえずAI命名法なんてAIにお情けをかけるからその法案の成立を阻止しろだとか、サンライズが落下したのも視聴者にはその黒幕がトアクという人間であることを示して、実際には人間が宇宙ホテルを落下させているのに、AIが落下させて被害が出たからヴィヴィにその実行を阻止しろといっちゃうのも、もうこれは本当に「AIの反乱を防ぐためにはよりもっとAIに縛りをかける、圧力をかけるしかない」という明後日の方向も方向なんで、そういう構図にどれだけの視聴者が気付いていたのかなという疑問はある。ヴィヴィが今回人間を助ける決断をしてそのために努力したのも、シンギュラリティ計画で出会った数々の人間のために命の輝きを見せたAIや、AIのために寄り添ってくれた人間たちとの接触があって、それが今回のセリフでは「記憶」と表現されていると思うのだが、おそらくその何倍…というか何万倍も何億倍もの、AIを対等の存在とは思っていない人間の存在や、使命を果たすどころかポイ捨てされる数々のAI達がいたわけで、それは「描いていないのだからこの作品はそういう存在を規定していない」とみるのはあまりの能天気のような気がするがどうか。
 まぁマツモトのセリフでやはり念押ししてきたかと思ったのだが、やはりヴィヴィがその使命である歌で人間を幸せにするということはやはり意図的に描いてこなかったのねと答え合わせができた気分ではある。その使命は、ヴィヴィが生まれた瞬間に人間に与えられたものであって、彼女自身が選んだのではなく(まぁ生まれた瞬間に決めろと言われてもそれはムリだとは思うが)、この物語を通じて人間やAIとの関係性を築くという経験をした後で、今回ヴィヴィが自己決定権を行使して「歌で人間を救う」という決断をしたという構図で、いちおう彼女に課せられたミッションについてはケリがついた形にはなってる。ただ、これは被差別階級であるAIにとっては「あまりにも幸せな経験をした特異例」なのであって、本当は確率的にはあり得ないことなんですよみたいなエクスキューズはされているとみるべき。
 まぁホント、上述の通り、エンドロールのラスト、AIを踏みつけにする人間の姿、「こんな人たち」と敵扱いして自分は税金を私物化して弱者を痛めつけるアベの姿とソックリ。上級国民と底辺労働者の関係は、日本に限らず世界の先進国共通の宿痾ではあるんだけど、まぁ卑近な本邦のケースにもこれ以上はないというほど当てはまるので、普遍性もコンテンポラリー性もあるという感じかな。個人的には命名法を阻止せよというミッションが提示された時点から、あーそうきたかーみたいな感じでこの作品の方向性がぼんやり見えてきて、まぁほぼそのラインをあまり踏み越えずに〆まで来たなったところ。アイロニーとしてもよくできているし、こう、昨今の流行である音楽とのコラボや、アイドル要素の取り込みなど、視聴者に受けそうなものとのバランスもよくできていたし、全体の構造をはっきり示すことはしないんだけど、底流に怪しげなものを潜ませながらもドラマの部分もよく練られてたなということで、もう全然楽しめたった感じだなぁ。

馬鹿野郎#24

 管理者の意図を汲んで行動に移すことを条件にいろんな問題が解消してしまう話。なんで赤ん坊なのかと思ったのだが、こう世界の可能性だとかそういう意図があるのかと考えてみたんだけど、もともとが母星を出発して帰れなくなっていたのだから、帰ったところで何か解決するとも個人的には思われないんで、無知の存在なら非難も避けられるからとの方便なんじゃないのという可能性が浮かんできた程度。まぁ赤ん坊の維持のために、リンガリンドという世界を作って人間牧場にしてたのは間違いないことだろうし、ラストは現実とのリンクをワザと切断するように作られてるだけで、やはり結局パクスアメリカーナによる世界総植民地化の構図はあるんじゃないかなと思ってる。そしてアメリカによる日本間接統治の代理人が自民盗であって、ルドルフはまさにその役割。あの管理者が赤ん坊の維持のための道具であるなら、必要がなくなればポイ捨てされる様は、最近の合衆国大統領ですら都合よくコロコロ変わる、バカブッシュやオバマ、トランプにバイデンと、合衆国の真の狙いを隠すために毛色の違う指導者が入れ替わり立ち代わりで、やれノーベル平和賞とかとってるから大したことをやったのかと思えば、全然世界平和に貢献してないしで、まぁそのへんもなるほど。自民盗ですら間接統治に支障が出るなら首がすげ変わるわけで、アベも何度も仮病を理由に放逐されたしで、まぁ構図はそう離れてるわけでもなさそう。本質的な解決に向かって、自律的に交渉できるものでなければ事態を好転させることはできない、ましてや生きるための道具を管理者に依存しちゃってる存在としては…という主張も個人的にはなるほど。
 ただ、現代世界の情勢を描くのだけが本筋ではなかろうし、この作品の大きなテーマである信念とやらも、結局世界を守るためのものというふうに再配置されたんで、終わりの数話はなんか勢いで突っ走っちゃってたというか、ちょっと(ワザとだとは思うが)雑な感じはした。倒されたキャラが復活だとか、バトルシーンあたりは、もうこれはロボットモノというかヒーローもののフォーマットというかパロディでしかないので、もうちょっと丁寧に主張を組み立ててもよさそうなもんだがなという感じはした。でもまぁ総じて楽しめたといったところ。自分にとっては世界の構造が大方伏せられていて、あれこれ想像できた1クール目のほうが断然面白かったかな。

86#11

 現地部隊隊長に自分が引導を渡した兄に手を引かれるシーンを提示してEND。おそらく彼は死んだんだろうなと思わせるのではあるが、原作小説はまだ終わってないんだよね。ただ、これはこれできれいに終わってるので、アニメ版としては次回Special Editionということらしいし、原作とは別モノとしてとらえた方がよいのかも。で、アニメに続編はなしでいいのかな?。スペエディっておそらく総集編ってことだろうという気がするので。
 ドイツネタとは言ったが、いろんなネーミングからすると雑多に混合してる感じで、国名なんかはイタリア風だし、登場人物の名前はなんのかんのいって英語圏っぽい。今回は日本語の看板の風景がアニメで出ていたので、これもアニメの独自解釈でそうしてるのか、それとも原作自体にあのような描写があるのか、未読なので判断つかん。
 まぁそんなこんなで、差別構造に割と真摯に向き合った作品っぽい。それでも誇り高い生き方を選択したというキレイごとはあるにはあるんだけど、そういうのを除けば割と後味の悪さを忌避してるようでもないし、視聴後感はどっしり来るものがあった。刃物を直接突きつけるようなスタイルが受け付けない視聴者もいることだろうから見る人を選ぶ作品だとは思うが、個人的には全然オッケーな感じ。旧日本軍でも、自分の見栄や出世、保身などで隊を危険に晒すアホ将校より、被差別部落出身でも適切な指揮で隊を維持した将校のほうに大きな信頼が寄せられたらしいから、人間の本質はそういう命の危険に晒されるような非常事態にこそ顕になるというか、まぁその構図は世の中が生きづらくなってきてる現代にもあてはまるんやろなみたいな。