ひぐなく業#18
どうも時間が先に進んで一年後の話になってるらしい。前回、沙都子のふるまいからの話の跳躍にちょっと面食らったのだが、あのあと沙都子は保護されて雛見沢症候群と診断されて治療の対象になったらしい。その雛見沢症候群も、ビョーキ扱いなのかという展開に違和感がありはするんだけど、治療可能というのもどうにもわからんところ。症候群というのは一連の症例を示す疾患ということなのだが、一番重要なのは「原因が不明」なこと。例えばエイズは今でこそウイルスが原因とわかっているが、流行初期は原因がわからなくて、だからこそ後天性免疫不全「症候群」という命名だった。つまり、最初はなぜかわからんが風邪などの簡単な病気なのにそれがいつまでも治らずに衰弱したりほかの病気も併発したりして最終的に死に至る…という症状を示す患者が大量に発生して、その患者が示す一連の症状をひきおこす病気をエイズといってたわけだ。では雛見沢症候群が病気扱いだとしてなんで原因不明なことにされてるのか。別に病気扱いするのであれば、その原因が細菌でもウイルスでもよいはず。作品中でも研究対象になっていて、しかも今回それが治るということも示されているわけで。
なのでよくわからんが、雛見沢症候群とやらも、実は依然村の因習陋習扱いで、医学的手法で解決可能という示され方をされてはいるが、実はそれはメタファーでほかの解決方法でなんとかなってるという形なのかなと思ってみたりした。まぁそれは作品中でもそう示されてる手掛かりがあまりにも少ないんでちょっと無理筋かなとおもわなくもない。が、前回梨花がプレゼントしようとした中身を沙都子がなぜか気づいたというのは、どう考えても雛見沢症候群が単なる医学的疾患とは思えないんだよね。
で、結局梨花は村を出ることをあきらめてなかったんかいという。三長老に祟りはないと言語化して村人に伝えさせて沙都子も抱き込んで一緒に行動すれば、梨花は自己決定権を行使できると踏んだ…という風に見える。そうやって最初は梨花や沙都子だけであっても、自分がやりたいことのために村を出る人間が外に出る仕組みを作って実際に人口が流出していけば村は衰退していくわけであり、それが今やってるエピソードのサブタイ「郷壊し編」につながってるんかなと。仮にそうだと考えると、やはり祟りはあるのであって、梨花はそれをなくせてもいないし、結局自己実現のために祟りをこっそり回避しようとしてるだけなんじゃないかとも思ってしまうのである。