ピーチボーイ#12

 サリーが和解を呼び掛けたその後。髪鬼はワンパン撃退、樹鬼もほぼワンパンと、鬼側がサリーを侮っていたが故のあっけない返り討ち。まぁ日本の惨状を言い表してるといえばそういう感じなんだろうな。日本のリベラル、共存を否定する連中とも共存とか生温いというか甘っちょろいことを言ってるからもう信用されないんだろうみたいな。せっかく政権交代を果たしたのに、当の民主盗は自分たちに何が託されていたのかすっかりかなぐり捨てて、それまでの自民盗の利権を破壊することを期待されてたのに温存してしまい、挙句の果てに消費税増税しませんという公約ですら破って、自分たちを政権交代させてくれた有権者を裏切ってしまうという。この話でいえば力を持っていることを自覚して人間や亜人、エルフから期待されていたのに、鬼の側に立って人間たちに殴り掛かってきたという塩梅。結局日本の場合、サリーのような庶民側に立ってくれるリベラルというのはほぼ皆無であって、力を持っていれば進んで権力側にたって弱者を搾取するという卑しい人間しかほぼいないって話。ヒトが個人として自分の安全を第一に考え、利益の最大化を図るっていうことでは何の不思議もないんだけど、自分が実力以上の力をさらに獲得するために、庶民を騙すってのはちょっと公人としてはいただけないものがある。
 なんやろ?。まだ連載は続いていると思うんだが、交渉が決裂すれば力でねじ伏せることも厭わずということが示されて尚、では鬼の側でほんとうには共存なんて考えておらず、ではこちら側はサリーにしか今のところ鬼に対抗するだけの力を持った個人はおらずで、で、こちら側をどうやって組織化して交渉は念頭に置くものの敵から攻撃されたらそれを撃退するだけの戦力化をするの?って考えると、物語上でもサリーを中心とした大きな勢力を作り出すような展開はちょっと思い浮かばない感じで、結局力ないまま要求したってそれは相手には鼻で笑われるだけなんですよ、本当に被搾取側からの脱却を図りたいんなら相手を殺して排除するだけの覚悟を持ってなきゃならないんですよという主張以上のものは描けないような気はするんで、終わってみたらこのアニメ版でかなり言いたいことは言い尽くしてたのかなという気はした。
 なんか不思議な感じ。とにかく時間を遡ったりしてトリッキーなことこの上ないし、予定調和で視聴者をダレさせることもなかったし、主張としては割ときれいな形で終わっていて、今のところよくまとめたなという風にアタマの上では理解してるんだけど、なんともかろうじて形にしたみたいな印象が抜けなくて、どうにもすっきりした気分になってる感じでもない。まぁわからなくもないんだけど、それでもあの芥川龍之介ですら鬼退治をした桃太郎は侵略者であるという話を書いているわけで、鬼を人間とは別個の存在として絶対的な悪という立ち位置に仕立て上げたうえで、安易に対立概念として提示するのは大衆向けサブカル作品としては仕方がないのかなぁ。同じ人間であっても、こいつは絶対に許せない存在であるという描き方をできないもんかねぇとは思うんだが、読者視聴者側でそういうものを受け付けない、理解しようとしても理解できないかええとこ曲解するのが関の山みたいなのが多いってとこなんだろうかねぇ。単純な勧善懲悪ものでないだけで、やはり大衆向けのエンタメというのが大筋なところだろうからアレだが、サブカルというのはむしろ大衆の理解からちょっと離れたところできわどい主張ができる媒体だったような気もするが、まぁ売れなきゃ作家としての活動も出来ず、なら主張も届けられなくなっちまうからなぁ。

ひぐなく卒#12・13

 梨花の混迷の原因が沙都子にあるとついにバレる話。まぁ梨花と沙都子だけの対決にしてしまうと、結局のところ同じことの繰り返しになるだけなので、羽入に介入させて展開の方向性を変えるというのはわかるんだけど、視聴者にとってみたら種明かしの部分だけ最近は延々と見せ続けられてきたわけなので、ようやく次に行くのかといったところ。それに加えて自分はさらに、おそらく本当にスタッフが描きたいのは愛憎劇ではないんだろうと思っているから、ドラマ部分はまぁよくできているとは思うんだけど正直あんまり興味はないといったところ。で、視聴していて違和感があるのは、梨花が追いつめられることの大半は雛見沢にいることによるものなのに、なんで急に雛見沢にいることの大切さに目覚めたんだ?というところ。沙都子も追い詰める方向性がその、雛見沢の悪習因習によってるのに、それでうまくいくと考えてるところ。いやまぁ今回のヒキがヒキなんで、梨花は割と近い段階で黒幕が沙都子だと気づいて、それで雛見沢にいつづける決断をしたのも偽装であるという可能性はあるが、まぁそのへんの答え合わせはさすがに次回に示されるとは思うんで…。

アクアトープ#11

 閉館4日前に台風が上陸、今の水族館が老朽化していてちょっとばかしの修繕では何ともならないことを館長代理が思い知らされるの巻。館長の、もう閉館は決定事項なのだから館長代理に思い残すことが無いよう好きにさせてるって流れが微笑ましい。しかし、なんというか、館長代理のほうは、別に展示してる生き物にに愛着がないわけでもないし、仕事自体にもやりがいを感じてないわけでもないんだけど、結局彼女は水族館の思い出にこだわって、それが彼女のアイデンティティになってるわけで、たまたま思い出の場所があの水族館だったというだけだから、そこが動物園なら動物園、植物園だったら植物園が夢だと言い張っていただろう。現に思い出の場所がなくなるという現実に直面して彼女は我を忘れてしまっているわけで、ではこれから彼女がそういう特異的な思い出にこだわることなく彼女がそれで生きる糧を得るための夢なり天職なりをこれから再発見するターンになるわけで、それが後半戦のテーマになるのかな。父母の思い出の場所だからその場所にこだわって自分の人生すべてを捧げるというのも別に悪いわけじゃないし、でもそれは親の仕事を何の考えもなしに継ぐのと何ら変わらんよねという話にはなる。たまたま経営上それが続かなくなって進路変更を余儀なくされてるってだけで、危機が訪れてなかったら単純に続けて何の問題もなかったワケで、彼女の夢云々も別に大げさに主張しなくても、他になりたい職業もなかったからその職業に就いた人たちと志の上では何も変わらないみたいな構図になっているとは思う。
 しかしなんだが、今まで例えばスポ根なんかも、本当のメッセージ性は努力が報われるという努力礼賛ではあるんだろうけど、巨人の星ドカベンで野球を、アタックNo.1でバレーボールをやりたがる子供が激増したらしいし、キャプ翼はまさにJリーグを下支えしたサッカー界の裾野を広げた役割を果たしていたわけで、こう脚光を浴びるキラキラしたものを視聴者に見せて夢を持つことを煽ってきたわけで、それは昨今のアイドルモノなんかにも結実している部分はあると思う。しかし、これだけ日本が経済的に低迷して、果たして夢を持ったところでそれを叶えることはもう貧乏人にとってはおとぎ話になってるわけで、そのへん夢と現実の乖離が極大に達してクラッシュダウンしてる最中なんだと思う。
 だから現実をよく見て夢物語を追い求めるなというのもどんな管理社会*1なんだよとも思うし、でも今までのキラキラした夢を追い求めよという主張も地に足がついてなかったよな実際ってなもんで、その辺のすり合わせをこの作品は試行錯誤しているんだろうかとふと思ったりしてる。
 まぁ今後の展開だが、結局のところまっさらな状態で新たに夢の設定をしろってのも無理な話で、やはり今まで彼女が積み上げてきたものがこれからの彼女の将来の基礎部分になるってことなんじゃなかろうかと。それで#6の彼女が見た奇跡の、

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 白衣を着た彼女が今の彼女にオーバーラップしてるから、その辺なんだろうなという感じ。これが研究者だとすると、水族館の運営で今まで学校の勉強なんてそっちのけだったから、そのへんあたりがメインになるのかねぇ。

ゲームあれこれ

 艦これ2-2クリア、ヒノモト無双予選トナメ突破。

*1:人もうらやむ脚光を浴びるキラキラした職業や、大して努力をしなくても濡れ手に粟のボロい仕事は実際上級国民がほとんど独占してしまってるわけで、まぁ貧乏人はその可能性が全然ないわけではないんだけど確率的に言ったら天文学的数字であって、基本誰もやりたがらないキツイ仕事を低賃金で働いて文句を言うなって社会がほぼ完成してる