ジビエート#12

 すり減らされた残党がからがら逃げてEND。今回ヨシナガから示唆が与えられてたが、そもそも自分もなんで主人公はタイムスリップしてきたんだろうというのが疑問にあった。あの世界の惨状は、ジビエ化した人間ということであり、ジビエとは野生動物の肉という意味なので、多数の人間が理性を失ってる状態を表してるはず。宇宙船の破片に感応してキャスリーンの願いが実現したというそういう設定はひとまず置くとしても、少なくとも理性を失った現代の人間に対抗する力として、シナリオライターが織豊期の壮年の兵士を対置したわけだ。千水はそれなりに忠義の士みたいだし、兼六も人殺しは仕事だとしても元々は平凡な幸せを求めてたわけで、それなりに芯の強いキャラ設定ではあるのだが、とかく戦乱期というのは人心は乱れるのであって、それをやはり乱れた現代に連れてくるからにはそれなりの理由があるのだろうとは思っていたのだが、やはり自分の中ではしっくりとしたものが得られない。どっちにしろ、坊主も含めて千水も兼六も、現代にタイムスリップしなければおそらく非業の死を遂げてたであろうから、現代に転生させて第二の人生を送らせたということになる。ヘンな話、織豊期の人間を連れてこなくても、現代でも精神をマトモに保ちながら必死に生きてる人間はいるのであって、キャラを現代人だけで構成しても良さそうなものではある。千水も兼六も現代で第二の人生を送るのであれば、どうせ元の時代にも戻れないわけだし、周囲の目を気にすることなく自分の持てる力を最大限に発揮してその場その時を必死に生きろというメッセージとも思われるが、今でもそうだという確証は持てない。
 しかし、状況としては、ワクチン完成の見通しも立たず、だからこそではあるが、結局の所生き残ったまともな人間は逃げるしか無いというのが結論というのもなかなか末法観漂うものがある。どっちにしろ必死に生きても先の展望はないということなわけで、メッセージとして本当にそれでいいのか?という気がしないでもない。
 初期の頃はただのパニックものだと思っていたのだが、中盤から救いがなく業の深い描写が続いて、B級テイストながらこりゃなかなか胸に迫るものがあるなとは感じてた。この作品が投げかけてくる問題に対するなんらかの結論が、他の多数のジャパニメーションのように整った答えとして与えられるものでないからどうにもスッキリしないが、人のちっぽけな努力ではどうにも変えようのない現実だとか、それでも自分の中ではなにかしら筋を立てていかないと強く生きてはいけないんだろうなとか、それなりに考えさせられる要素もあってなかなか侮れないものがあったと思う。この作品がよかっただとか、クオリティが高いとかは決して言えないものがあるんだけど、それでもどこかでこの作品が心に引っかかって仕方がない、そういう立ち位置のものではあった。