うーん、実は一日中「人類は衰退しました」を考えてしまっていた。

 アニメ版の意図は?と考えていたんだが、なんかいろいろ考えていると、原作を読んだ時もあまり深く考えてなかったなと思いなおした。やっぱアニメの感想対象を選んでいるときに原作を読んでみようと思い立って、一気に6巻分読んでしまったのがまずかったらしい。ざっと通して読んで全体に通底するものを捜してしまうのだ。
 アニメ版の流れに準拠するんだが、まづ妖精さんの食品工場、これモロ現代批判なんだよね。若い女たちが廃鶏を逃がしてしまうのは、もしあの世界が本当に中世にまで衰退したという設定ならありえないんだよね。つまり彼女達は現代の女性と一緒。工場の受付が誰に雇われているのか詳細がわからないというのも、自分の仕事が世の中にどんな影響を与えるかどうか無関心でカネさえもらえればオッケーという世相の皮肉。文化局長は実務能力責任能力皆無なのに出世だけ気にするまさに現代の管理職と一緒な態度。工場で何を原料にしているのかわかんないというのはやれダンボール肉まんだとか雪印問題に通じる問題。味はそれなりってのもマス生産にありがちな傾向。で、それが市場ではそんなに評価を受けないのも現代的。生産物が経営をしているってのも、産業それ自体が自己増殖するって傾向を示しているし、その結果自滅するのも一緒。不正がバれそうになると開き直るってのもそうなんだよな。つまり過去に人間が愚かなことをしたからあゝいう馬鹿騒動になっているって形じゃなくて、もうこの描写が現代そのものゝ皮肉になっている。
 同人誌エピソードは出版界、人工衛星エピソードは電気に頼りっきりの現代社会と、前半6話分はモロ現代社会のアイロニー妖精さんの起こした騒動ってよりは、人間の愚かさそのものがもたらしたものって形になっている。
 で、次がタイムスリップと助手の話、文明の興亡、妖精さんとの出会いと、「わたし」がクローズアップされている感じだ。昨日「次回は学園生活のお話だろう」と予想したが、原作の流れどおり、入学して孤立するお話とお茶会に入ってからの顛末というエピソードになれば、やはり「わたし」中心のお話になっている。
 で、はっきり言ったら、妖精さんがいなくても話は成立するんだよね。たまたま妖精さんのしわざってことにしているけど、昔話を思い起こせば、別に勝手にそういうおかしな状況になりましたってのでも十分通用する。原作でもおそらくそういう構造になっていると思うんだけど、自分は原作で妖精さんの台詞まわしがえらく気に入ってしまって、妖精さん旧人類との対比に気をとられてしまっていた。
 とはいえ、原作者が妖精さんの味付けをしたのにはちゃんと理由があるんだろうなと思わざるを得ないんだよ。いたずら好きではあるが、悪意は全く無い。かといってゼークトかなんかの言った善意だが無能な働き者ってわけでもない。知識はあるし、楽しいことが大好きで、自分から場を沈ませようとするわけでもない。生死に無頓着でというか、おそらくすべてにたいして私有概念がない。かといってみんな一緒のような同調圧力があるのかと言われると、個性はあるようだ。欲が無いわけでもないんだが、おそらく他者を傷つけるような欲が極力排除されているんだろう。
 というわけで、おそらく自分がアニメ版に物足りなさを感じているのはやはり妖精さんの背景化なんだろうなと。妖精社の工場が妖精さんのしわざと言われてもピンとこないのは、やはり妖精さんが能力者であって突飛なことをしでかすっていうのが省略されていたからなんじゃないかと思ってしまう。で、第10話で一夜にしてメトロポリスが出来てしまうってのをやはり最初にやっとくべきだったんだろうが、上記考えたとおり、構成上やらなくてもそんなに影響ない感じはするし、いや第10話を見て「妖精さん凄い」というインパクトをそれほど感じなかった。
 いやはや、いろいろムダに考えてしまっているが、こうやって振り返ってみるとそれなりに考えられて作られており、深みを感じさせるんだけど、でもやっぱりもどかしいんだよな。評価に迷うというか。視聴して何か考えさせられるって意味では評価が高いんだけど、でもなんかスッキリしないというか。