甲鉄城のカバネリ 第2話

 なんか絵に対する気合が桁違いだな。
 うーん、正直あまりこの作品をけなす要素が見当たらないというか。いやまぁ粗はあるんだけどさ、ノイタミナ枠だからフジテレビであって、そのへんを考えると割と製作側がやりたいことやってるんだろうなという気はする。これだけの絵のクォリティを出してくるんだったら現場はキツそうだけどな。
 カバネは何のメタファーか?というのが自分の中ではまだ横たわる要素。スタッフがお子様向けと言ってるからには、大人の解釈だと甘いといわれるというのを認識してたんだろうなと思わされる。カバネはそうなる前はこちら側、人間だったのであり、でもカバネになったからにはもう人間として決して認識してもらえないってのが厳しいわねぇ。主人公の生駒もカバネを人間に戻せるかもしれないと言っているが、現状彼だっていざ目の前にカバネが現れたらそいつは救うべき存在・救える存在じゃなくて、問答無用で殺さなければならない存在だしな。もう今の状態で外の世界はカバネばっかりで、物語の結末として主人公グループが安住の地を得るぐらいが関の山で、存在しているカバネ全員が救える存在となっているとは考えにくい。
 カバネになるということはグローバル化の波に呑まれることか?と、まぁ大抵の作品はそのあたりを重ねてきそうなんだけど、この作品ではあまり当て嵌まる要素がないなぁといった感じ。とはいえ、生駒はカバネの要因がウィルスにあると言っており、それが脳に至らなければカバネ化しなくて済むという提示をしている。無名が行っていたカバネと人間の境界にあるものがカバネリと視聴者に定義づけしてみせたが、まぁ敵を超克するためには自分がもともと持っているものを極めるだけではダメであって、敵の要素も取り入れなくちゃならないって構造は物語だけでなく一般的にもよくみられるもの。和魂洋才みたいな感じなのかねぇ。ウィルスが脳に達しなければ良いというのはおそらくカバネ化に重要なのは思想的なものという示唆のようにも思われる。
 生駒のあり方は社会的には左翼というか、民主的な考えの側であって、それを否定する組織がむしろそれに依存しているのに必死でそのあり方を否定するのに酷似している。いわゆるウヨクが左翼をパヨクといってバカにしている構造。実際にはウヨクの側が社会を破壊して、左翼側がその尻拭いをしているのに当のウヨクは左翼を否定することによってアイデンティティを得ているという惨めな構造。かといってこの作品のキャラで、生駒を毛嫌いしている層がウヨクか?というとそれも違うし、やたら攻撃的なサムライがウヨクか?というとそれもちょっと違うような気がする。割合だれもかれも生き残るのに必死でいろんなものを見失っており、効率的な協力関係が築けていないといった風だ。これはいかにも現代社会の構造を表しているとはいえない。繰り返しになって申し訳ないが、スタッフにはその自覚があるからこそ、これは大人の鑑賞に堪えないというアナウンスをしていると思われる。
 しかしまぁこの主人公サイドのキャラの造詣はよく考えられているなとは思った。生駒は視聴者と同一視しやすいような叩かれキャラになっているし、無名も男に都合よい美少女に仕立て上げられているだけでなく、女から見たら寄りかゝりたくなるような強さが付加されている。物語の世界設定も現代社会とは乖離した理念で汲みあがっているからリアリティはないんだけど、思考実験する場としてはそんなに下手な設計でもないと思うので、今のところそんなに悪い印象はないなぁ。スタッフがわかってそうしているのが伝わっている以上、こちらもその分行間に込められたメッセージをある程度割り引いて解釈したらよいだけの話だと思うので。