アルテ#9

 ユーリがなぜ姪の家庭教師にアルテをわざわざ選んだのかが分かるお話。しかし料理人か~。まぁ女の子のやりたがるものとしてはフツーのチョイスだが、確かに調理人の身分ねぇ。当時の料理の紹介もちょこっとされてたが、こっちのほうが面白そうではある。大航海時代に先駆けてルネサンスが起こってると思うので、イタリアは香辛料の消費地としてのヨーロッパにおいては、香辛料貿易のほぼ最終中継地点なので、割とオイシイ商売だった。料理の説明にシナモンジンジャーペパーと、確かに貴族だからこそふんだんに使えてるんだろうなみたいな。今だとイタリア料理はトマトといったイメージだが、新大陸の発見について触れられてないからまだ渡来してないんだろう。ナス科のほとんどの野菜が入っていないし、トマトは意外なことにヨーロッパに伝わってもしばらくは警戒されてたから普及するのは後々のことになる。あと肉料理に使われがちなナツメグも、当時は香辛料の中でも超高級品扱いだったろうから今回除外されてるんだろうと思う。高級食材をふんだんに使った料理、今となってはイタリアでも古臭くはなっているんだろうが、そりゃキラキラして見えたんだろうなというのも想像しやすい。カタリーナが手づかみで食ってたのも、おそらく当時の庶民はそうしてたのかも。輪っか転がしなんかもそうなんじゃね?。そのへん考証はしっかりしてると思いたい。この作品説明口調でセリフに仕込んでくれないから油断してるとスルーしがちだが、ちょっとした知識があったらいろいろフックするのが楽しい。
 ソフィアもそうだが、カタリーナあたりの女性キャラ、結構作画に気合入ってる。貴族の華麗さを表現するのにあの髪をいちいち描きこむのは手間がかかるだろうが、端正な作画でたしかに上品さを感じさせるものになってる。
 しかしなんだな、自分がやりたいことを実現するのに、カタリーナも人の力に頼るんじゃなくて、自分がなんとかするという方向性の考え方にさせてるのが作為的。権利を主張するんだったら、男と同等のことをしてから言えみたいな。アルテに台詞で語らせるんじゃなくて、実際に男に劣らない実力がついているんだよという提示の仕方がまぁ本作らしい主張の仕方。カタリーナはユーリという理解者が側で支えてくれてるのに対し、アルテはほぼ一人でなんとかしてたわけで、そりゃ見上げる存在にはなるでしょ…みたいな。


シャチバト#9

 マジュー(魔獣か?)であるミネ子が社員になる話。視聴してちょっと動揺してる。話の筋自体は大したことないんだけど、なんかいろいろ考えさせられることがあって、アレ、この作品そんなに重苦しいもんだったっけ?とふと今自分が立ってるところが先程と風景が違って見えてしまって戸惑ってる最中。
 今回、話の序盤でマコトがミネ子を追いかけると言い出して、ハテ?、追いかけるのはいいがどう取り扱うんだろとちょっと先が見えなかったのだが、ミネ子を助けるという流れになって、オイオイ、そりゃミネ子を抱え込む展開になるがいいのか?と不安になり、人事権がないはずのマコトが仲間にするとか言い出し、社長がほぼなんの戸惑いもなく合意する段になって、後先考えずに突っ走っていいのか…みたいに、もうこちらが置いてけぼりにされる感半端なかった。
 ミネ子がいじめられるシーンでは、あーこりゃパワハラにあってることのメタファーなんだろうなとは思いつつも、人間の言葉を喋り、気味悪がられてるのはむしろ学校内でのイジメに近いし、パワハラが横行するんだったら、それはある意味ブラック企業なのであって、とはいえ、労働条件が厳しいだけのブラック企業は1つ前のエピソードの機械化ダンジョンがそうであって、なんでブラック企業というテーマのエピソードを連続してやるんだろ?と思いながら視聴してた。もしかしてパワハラ型のブラック企業という自分の見立ては間違っているのかもとも思ったのだが、女王がキボウカンパニーに倒された後、ライバーを追い詰めていたファムネラたちが女王の敵討ちをするんじゃなくて、ライバーをまつりあげていたところからしても、まぁ間違いはないんじゃないだろうか。ライバー、カネをばらまきながら囮になってたし、ファムネラたちはそういうライバーしか目にしてないわけなので、こいつなら金払いがよいのだろうという判断をしたのだと思う。ということは、倒された女王はおそらくファムネラたちに十分な報酬を払っていなかったと判断するしかない。なので、これもブラック企業のメタファーだと判断した次第。
 ミネ子が蓄財した宝物を差し出すのもちょっと気味が悪かった。キボウカンパニー側もどいつもこいつも手放しで喜んでいて節操ないなとか思っていたのだが、ミネ子が仲間を得ることと宝物とを天秤にかけたとき、圧倒的に前者が重いと判断したわけで、まぁその人にとって何に意味や価値があるのかを決める権利があって当然なので、そういうことなんだろうということにするしかない。でもまぁ最新話の八男でも分け前の金貨を全部主人公に託していたように、ミネ子も宝物を差し出すのと引き換えに、今までより遥かに良い条件で、しかもずっと面倒を見てもらえるのだとすると、それはそれで取引としては悪くない。マリカも給料なしで社員になってるんだったっけ?。
 あと、ユトリアがミナトにまるでミネ子の面倒を見ることを再考するような流れで、これエグいなとか思ってた。で、視聴後、魔獣の表記を調べてる過程でWikipediaに行き着き、ユトリア実は孤児だったのを先代の社長に拾われたとあるのを見てビックリ。自分最初の頃はこの作品に期待するところ少なく、割と聞き流し上等で視聴してたから、単に聞きそびれていたのかもしれないし、聞いた直後にさっと忘れてたのかもしれないが、どっちにしろそういう設定があると今まで把握してなかったんでかなりビックリした。要するにカンダタかよ、業が深いなオマエみたいな。だが、よくよく考えてみると、ユトリア、拾われてから会社の秘書として経営に関わり、会社が厳しいのに拾ってもらっているということは、いかに自分が会社にとって負担になっているかを帳簿の数字を見て自覚しているからこそ、これ以上会社に負担はかけられないと思っての発言なのであって、あー、これなかなか深いなと思い直した次第。
 そんでもって、この日本の有様を振り返ってみたのだが、日本の会社組織というのは、地縁から切り離されて都市部に就職してきた社員の疑似運命共同体という役割をずっと果たしてきた。それがバブル崩壊を機に、特に小鼠政権あたりから社員を簡単にポイ捨てするようになってきたわけで、今、その切り離された労働者が非正規社員として個人分断化に晒されており、まぁいうなれば居場所を失っている状態。しかも切り離した経営層は、それまでその日本の会社組織が擬似共同体としての役割を果たしてきたその恩恵にどっぷり漬かってきた世代で、いざ自分が権力の椅子に座ると、いともあっさり部下を切り捨てるという自分だけ都合の良い論理を振りかざしてる。そういう状況の中、ミナトが困ってる人を割と躊躇なく仲間として受け入れる姿、たしかにメッセージとして強いよな…というワケ。