新サクラ#9

 自分このシリーズ詳しくないからアレだけど、どうやらサクラ大戦シリーズの敵であるところの降魔と和解する流れみたいな。しかし、軍オタこういう設定とか筋立て好きだなぁ。やっぱ思い浮かぶのはストパンネウロイ。最初っから対話しときゃいいのにまず殴り合いから始めるとか、人体実験であいの子を作って両者の架け橋とするのとかも気が触れてる*1としか思わないんだが、アンタも好きねぇ。欧米による世界中の植民地化も、さすがに最初っから殴り合いってことはしなかっただろうに、まずいきなり拠点を築いて交易から始めようとするが、結局の所相手を騙して支配下に置くのであって、歴史的にもあんまり殴り合いから二国間の交流が起こるとかないような気がするのだが。そりゃアレか、元寇か?、でもあれ、いちおうモンゴルが失礼ながらも最初は国書を送ってきたんじゃなかったっけ?。むしろ対話なくいきなり殴りかかったのは先の大戦での日本の攻撃(ということになってる)なので、なんか不思議な感じはする。もしかしてシリーズ初期は人間側から降魔側になにか失礼なこととか、降魔を攻めるようなことがあったのかな?。よくわからん。
 まぁ冗談はさておき、今回表現しようとしてる和なるものとは何か?といったら、やっぱり家族関連?。ただ、これもなんかえげつないものが感じられて、たとえばクラーラが子供であるというのがいかにもといった感じ。家族と言っても結局帝国華撃団が受け入れる側であって、そちらのほうが父や母といった立場が上なのであって、あくまで受け入れられるクラーラは目下の者として受け入れられるような形になってる。受け入れる方だけに包容力があって、おなさけで仲間にしてやってるんだとでもいいたげな構図なんだよな。決して両者が対等の立場には立ってない。そういうのを日本人は好むというわけか。相手が弱いから、もしくは弱っているから力関係が逆転しないということを確認して、それにつけ込むような形でコミュニティに受け入れる。敗戦直後は力では敵わないからアメリカに臣従したけど、いざ高度経済成長を果たしてしまうと大国復活とばかりにふんぞり返り、開発援助といって資金を投入してもODAというのは結局国内企業にカネが還流する仕組みだし、技術援助といっても発展途上国の安い労働力を利用するのが主目的だった。今日本が没落していても技能実習制度は技術を教えてやるという尊大な建前の割に奴隷のごとく使い倒す制度で、最初っから外国の貧乏人を奴隷と考えている自民盗はおろか、旧民主盗系すら移民法に反対もせずすんなり可決させた。
 昭和期はまだ敗戦の記憶もあって後ろめたさみたいなものもあったんだろうが、それでも心のどこかには自分は家族でいえば目上の立場なんだ、それが失われたのは戦争に負けたからであって自分はちっとも悪くないと自分で自分を騙してきたわけで、そのルサンチマンを埋めるのがこのような「かわいそうな他人を受け入れる包容力のある私」という虚像であり、今、そのテンプレフォーマットがこうやって視聴者に「結局オマエ今でもこういう物語が好きなんだろ」と突きつけられるの、ライターなりの考えあってのことなんじゃないかと考えるのそれほどヘンかねぇ。

文豪#7

 芥川龍之介地獄変」の巻。え、なになに、めっちゃオモロイやん。視聴者が誰であってもわかりやすい素材を使って考えさせるための要素もキッチリ与えて、物語の面白さとは一体何かというテーマに関して直球勝負を仕掛けてる。ところどころ挟まれるギャグ要素も小洒落ていて、後々の話も見ないとわからないが、このシリーズでの白眉の出来である可能性は高い。一本糞シナリオと言われたらそうかもしれんが、個人的にはエンタメとしてちゃんと形になってるじゃんという認識。#1で、このアニメあかんのでは?と思ってた自分が懐かしい。

リスナーズ#9

 とりあえず事態を進めておこっかみたいな。エコヲを混乱から放逐していろいろ考えを整理させるらしい。正直なところ今回の意味がよくわからんかった。しかしなんだな、今までプレーヤーという単語はバンバンでてくるのに、リスナーという単語が一切出てこない。プレーヤーは単数形、タイトルのリスナーズは複数形。大雑把に言えばプレーヤーは情報の発信側、リスナーは受信側という意味だと思うが、おそらくリスナー側の代表格であるエコヲにそれがどう託されてるのかもちょっと読めてない。

*1:こう、国家間の争いの解決のために相手国から女を奪ってきてレイプし、生まれてきたハーフの子が架け橋になると本当に信じてるのか…みたいな。日本人なんか特にハーフの子をどう扱ってきたのかを考えるともうそれはそれはといった感じ。ただ、これは歴史的に見たら大航海時代にスペインやポルトガル中南米でやってきたことなんじゃね?とは思う