無彩限のファントム・ワールド 第2話

 文化人類学的ガジェットは大好物ではあるんだよな。
 入門書とか何冊か読んではいるけど、系統的に整理された知識として知ってるわけではないのでそのへんご容赦を。
 いちおう主人公にファントム(怪異)が何物なのかわかってないと言わせてはいるが、別に怪異が悪影響を与えるのは人間に対してなので、やはり人間が作り出したものと考えるのが順当。よく環境問題とかいって、地球を守れなんていうフレーズがあるが、あれだって、別に地球を人格化してその地球が悲しんでるとかいう構図にしたがっているが、要するに人間の所業が人間自体に降りかかってそれが都合が悪いといってるだけで、別に地球が悲しむとかよろこぶとかそんなのは恣意的な誘導に過ぎないってやつと同類。
 結構面白いのが話の基本に言語を置いていることで、早速その源流としてソシュールを挙げていたこと。それまでは比較言語学として知識が蓄積されていたのをかなり科学的手法を取り入れて考察したのが彼であり、いちおう彼が構造主義の始祖といわれてる。その構造主義から文化人類学が発達していった代表格がレヴィストロースであり、この流れがおそらく本作の基本になってると思われる。他のアプローチがフーコーフロイトなどの社会学や医学方面からのものであって、こういうのはもうちょっと本作からは遠い可能性が高い。人間の状態異常をどう解釈するかみたいなところだろうが、前回今回の話からすると、別に怪異を目の当たりにしている当事者に状態異常が起こっているのではなくって、怪異自体が独立したものってことにしてるからわかりづらい。とはいえトラブルシュートはその怪異の所業に困った人からの依頼という形にはなっているので、そのへんかなり省略はある模様。今までのドラマだったら、怪異を生み出した人間をよく観察して解決方法を探り出していたものだが、これだともう怪異と怪異と対峙している人間とをすっぱり切り離しているから潔いというか…。前回も述べたが、怪異は工業製品に取り憑いているようだしそのへん昔ながらのスタイルであるところの、人の怨念が生み出したものというよりは、産業構造や社会システムが生み出したものというところが新しい。いや、産業構造も社会システムもどちらもやはり人間が生み出したものに違いはないんだが。
 男と女の対比もらしいといえばらしい。主人公は理性というか頭で考えているという要素が大きいが、ヒロインズは感情というよりはフィジカルで受け入れるといったところ。普通、殴り合いは男が担当するように思うが、そのへん肉体性を担当するのが女であるというところはちょっと感心。怪異と戦う以上格闘技の形をとってはいるが、これはむしろ踊りと解釈すべきなんだろう。
 いろんな要素を取り込んでいるようだが、どうにも把握しきれない。そうカツカツ考えるのではなくっておいおいわかる範囲で楽しんでいきたいとは思っている。