最近のアニメにおける学校的価値観の復権

 もともとはぼく勉で受験そのものを題材にした作品がアニメ化というのに驚いていたのだが、さらに驚いたのはこれが週刊ジャンプ連載であることだった。ジャンプといえばかつては600万部を誇った化け物週刊漫画雑誌だったわけで、その頃のジャンプに対する自分の印象はあんまりよくはなかった。すべてがそうだというわけでもないのだが、読者に媚びてこんな下品なこともやるのかといった連載があった記憶はある。いちおうその後H×H騒動もあって、試しに友人宅にて初期のを読ませてもらったことがあるのだが、物語を奥深く構築していて、これがあのジャンプ連載だったのか、そりゃ富樫も怒るわなという時期は知っていたので、もちろん現在が過去の編集方針と違っているのは理解しているつもり。そしてぼく勉がジャンプ連載であるということを知り、とうとうジャンプも社会的影響をかなり意識しているんだなと思い至ったわけだが、学校の勉強に対する扱いが、ここ最近のサブカル作品にて好意的に扱われ始めているのに気づいて、どうも意識が変わってきているのかなという感じ。


 自分が漫画やアニメで学校という場がどういう扱われ方をされてきたのかについては、もう全く「学校の勉強よりもっと他に価値のあるものがある」というステレオタイプが大半だったという認識。特にスポ根において著しく、モチーフになってるスポーツに類まれなる才能や努力で成果を出すも、学校の勉強で赤点をとって追試を受けさせられるという描写がそれこそお約束として挿入されているというもの。スポーツを通じて主人公が輝いているわけで、一にスポーツ二にスポーツ、三四がなくて五にスポーツなんだから、優先順位は当然にして六番以下なのであって、むしろ主人公がスポーツをやるための障害になってでもいるという扱い。主張的にはスポーツばかりやらずに勉強にも力を割いてバランス良く成長しろということなのだが、まぁそんなのは制作側のエクスキューズでしかないのであって、視聴者はどちらも重要だと受け取るはずがない。


 勉強を主題とした作品は別に昔からあったわけではあるが、「強く推奨」扱いされたのはドラゴン桜あたりが記憶に新しい。同じ東大に合格するというテーマであっても、東大一直線とは全然好意の方向性が違う。ただ、ドラゴン桜はマイナー誌だったわけなんだが、昨今の作品はもうマイナー誌メジャー誌関係なく、多種多様なメディアに取り上げられているように思う。


 では、今期のアニメ作品にどういう取り上げられ方をされているのっか見ていきたい

  • のうきん

 魔法学校での授業を真面目に受けてハンターとして自立する。

  • ZX

 世界の危機に直面して、学校で能力を高める

  • 慎重勇者

 ぱっと見関係ないように思うが、主人公の筋トレでステータスを上げる行為は、地道に努力するという学校的価値観の提示。

  • 司書

 文字文化に対する肯定的態度

 主人公周りがほぼ優等生

  • 暗殺

 ヒロインが家庭教師の指導に従順。

  • 超余裕

 主人公たちの知識はあきらかに学校教育にて獲得されるもの

  • ぬるぺた

 学校に行くのを至上命題にしてる

  • 歌舞伎町

 主人公がいるダウンタウンは学校的価値観とは対極の位置にいるがだからこそスリだとかマイナス評価になってる

  • 戦恋

 主人公モロ勉強の虫。コミュ障を克服するのではなく学校の勉強に価値をおいてる

  • この音

 主人公はともかく、序盤の中核メンバーである部長は典型的な優等生。生徒の自主性でスキルは伸びるが、さらに上を目指すなら然るべき先達の指導を受けるべきという流れ。

  • ぼく勉 

 いうに及ばず。といっても後々細かく言及するかも。



 あと、学校所属だが、あまり深入りしていないのに、神田川ちはやふる、俺好き、ライフルあたりのキャラにあてはまる。神田川、俺好き、ライフルは関与が薄く基本的にニュートラルな態度。ちはやふるは連載開始時期が早いせいか、やはり古いタイプのスポ根で、学校的価値観の優先順位は低い。が、ここ最近の話だと主人公がかるた部の顧問になりたいと言い出してずっこけた。



 10年ぐらい前までは、学校の勉強が将来なんの役に立つんだ?とか、今の学校の勉強よりもっと実学よりの教科をと言われていたように思う。割と早めに田植えをする大学が学校の勉強すっ飛ばして一芸入試とかやってたのもかなり前だし、私立大学あたりが率先してコミュ力重視で学校の成績より重視して入試を行っており、その波が国公立大学にも及んできてる。そして前述した通り、それよりずっと前からサブカルではかなりの作品が学校の勉強より大切なものがあるというのを根底にしたテーマづくりをしていたように思う。


 それがこんな有様。ちょっと自分であらためて学校的価値観に肯定的な作品と否定的な作品をよりわけてこんなにはっきり結果が出るとも思わなかったぐらい。スポ根なんて顧問そっちのけで生徒の自主性だけで全国大会などの結果を出すだとか、努力をしないわけではないんだけど、努力が実って成果を上げるというよりは実戦で成長するとかもう親の顔より見たというぐらいありふれていたので、なんともこの手のひら返しは潔いと思うぐらい。


 もちろんこの転回には制作側のほとんど共通した認識があるからというのは明らかだと思うんだが、それはまぁ別の機会に。