あまんちゅ! 第8話

 弟君、Aパート最后で蹴られたの、何でかわかんないの?。
 そういやこの姉弟、「愛と誠」なのな。しかし持久走好きだな。水泳だと全然というわけでもないがあんまり持久走をやらないような気が。だから逆説的に水泳選手とか持久走が苦手でもそんなに不思議でもないというか。自転車なんかでもトレーニングは持久走よりは自転車そのものに乗るということが多い。なのに姉様ランニングでびゅんびゅん飛ばして元気だネェ。
 日常回だった。正直毒にも薬にもならないといったところ。こんなエピソード原作にあったっけというのが先にあったのだが、しかし改めて見てみるとこういうメッセージが好意的に受け取られるんだとすると、今ドキの子供って自分が想像するよりずっとひ弱になっているのかなという。とはいえ、別にてこが周囲に比べて精神的にずっとひ弱で、モブ含めて周囲はフツーだってのはわかるし、うーんといったところ。精神が過敏で、強い刺激に弱いけれどそれと引き換えに感情性が豊かでってのはよくあるパターンではあるんだけど、そういうもんでもなさそうだしな。そうなるとてこのようなパーソナリティを取り扱うのってかなり冒険なんだよな。
 逆に原作のように読みたい人だけ読んでくださいってのはなかなかよい戦い方だと思う。それをアニメにして万人に共感してくださいってのはちょっと筋が悪かったのかネェといったところ。だってアニメだとちょっとこれは…と否定気味の自分でも、原作を読んだ限りでは何の問題も無かったんだもの。いやまぁアニメスタッフの能力がというよりは、低コストでは万人向けに再構築するのが凄く難しい作品なんだろうなという気がする。てこの繊細な感情に惹きこみ、その雰囲気を維持しながら話を進めるべきなんだろうけど、他キャラが出てきてそのカラーが強く出すぎると(というかカラーを出さないとこのような作りではその他キャラが全部風景になってしまって埋没するのでNG)、読者の意識がてこの精神世界から追い出されてしまう。これでは原作のもつ作家性を伝えきれてないし、原作の持つ作家性によらない(おそらく伝えたいとスタッフが考えている)物事の切り口も中途半端であって、うまく表現できてないと思う。で、それはもともとこの作品を取り上げるというそのこと自体がハードルを高くしてるんじゃね?といったところ。大抵の人は賑やかな通りで遊びたいってのに、裏通りのほの暗い骨董屋のなんともいえない雰囲気を伝えるって、まぁ数の勝負じゃ負けるでしょといった感じ。それを大衆の好みに合わせようとしたら魅力が半減するのは当然でしょという。