終末のイゼッタ 第3話

 竹槍が効果を発揮したら?という仮説。
 うーん感動的なんだけど、リアリティがないというか極めて理念的というか。といってもなんというか、ゲールは自民盗を初めとする日本を食いつぶす層ぐらいにしかもう思いつくものはなくて、ではエイルシュタットは日本国民というか貧乏人をあらわしたものか?と言われると、それも微妙な感じでなんとも。仲間を助けに行きたいというエイルシュタット兵はもう日本国民と看做すにはあまりにファンタジーになっていて、フィーネはせいぜいこれから日本を背負って立つ層への手本、エイルシュタット兵もこれから国民をこのようにする必要があるよねぐらいの模範例ぐらいにとっておいたほうが精神的に楽。
 イゼッタの戦闘シーンはカタルシスを感じるものではあっても、それは劇中のことでしかなくって、基本ファンタジーでしかないし、仮に何かのメタファーだとしても現実の日本で、特権階級の無謀に一矢でも報いる何物かゞ実際にあったりするの?と考えると、そういうものはありはしない*1し、もうチートゝして笑い飛ばすぐらいの意味しかない。そもそもイゼッタのような効果的な反撃手段があるのなら、何で今までそういうのを現実の日本では培ってこようとしなかったのかとかなので、あんまりこの作品を現実と照らし合わせて何事か解釈するというものには作られていないと見るべきかな。
 まぁそうなると、結局のところありもしない英雄譚かなんかで変わりもしない現実に対してのガス抜きとして視聴するって役割にしかならないのだったら、まぁ意義は買うけど現実を変えるのになんらかの効果を期待するのは無駄というか、もう現実逃避としての価値しかないというか。残念な話だけど、カバネリも本作も時宜を逸した作品ということでなんとも残念という。いやまぁ現状の日本の体たらくになってしまったのは別にアニメスタッフの責任でもなんでもなく、むしろ警告だとか独裁に抵抗する行為をやってるぐらいなんで、誠にお気の毒としか言いようはないのだが。

*1:割とアベ友学園問題がそれに相当しそうだが、この作品が作られた当時はなかった出来事