クロスアンジュ 第10話

 下もブロンドって、わざわざ口に出す必要があるのか。
 アンジュが処刑から救出されて脱走兵としてぶち込まれるまでの巻。今回は差別意識がテーマになっていて、視聴者に意識を喚起させる構成になっていた。ノーマがなぜ差別されるのか?ということについて俎上に乗せられていたが、差別意識というのは差別されるほうではなく差別するほうの意識がそういうのを助長する社会構造を更正しているのではというものでいゝのかな。とはいえ、アンジュは差別意識を持つものを愚民と蔑むわけだが、これもどう評価してよいのやら。アンジュの特権階級意識は問題ないのか*1というところもセットで提示されていて、そのへんスタッフがこのような構造にしたのにもいろいろ考えさせられる。愚民というのには、差別意識を助長させて国民を分断している政府を支持している日本国民に対しての揶揄でもあろうし、もちろんもっとわかりやすい例として嫌韓嫌中などなど単純なレイシストあたりを指しているだろう。かといって日本国民の全員が愚民というわけでもないだろうし、とはいえ作品世界ではヒルダを例にとったように親子の情愛を超える存在としてノーマを描いているのか、マナを使えるかどうかの違いだけなのにノーマを極端に差別するというアンジュの言う愚民である国民が大多数なのか判断に困る。かといって、かつて日本がそうだったように、戦争に反対する人間は非国民だと言って肉親だろうと隣人だろうと密告するようになるほど、差別に対する同調圧力が強かったりしたのかもしれないし、人間に対する洞察がなされてなくて政府広報を無邪気に信じて被差別対象を叩くような愚民が多いのかもしれないしでもうなんていうかね。
 所詮アニメなんで、提示された問題は単純化されたもので考えたほうがよいのだろうけども、そうだとしても結構取り扱わなければならない要素や状況が多いものではあるんだよな。いちおうノーマといえどもヒルダの母親の場合はヒルダとの別れの際には親子の情があったという描写だし、アンジュの父母とも親子の情があるという描写。第1話の道端での出来事でもそういう描写だったし、そのへん民衆も一人ひとりとしては普通の人間なんだけど、ノーマを差別させることによって社会を成り立たせている仕組みがクソなのか、そういう社会構造に気付かない、もしくは気付いていてもそれを修正できないどころか強化してしまっている人間こそがクソなのか、まぁそのへんよな。生まれたときからもしくは物心ついたときからあの島にいるノーマは、島以外の生活を知らないからあの生活が当たり前であって、そもそも差別されているという意識が全く無いのでは?ということも含めて結構複雑な問題ではある。

*1:アンジュもまた愚民であるということかもしれないし、アンジュに語らせていることがあまりにも青臭いとか一面的過ぎるからその照れ隠し的な要素があるのかもしれないしで。