甲鉄城のカバネリ 第3話

 うーん、生駒・無名は共産等のメタファーかなんかなのか。
 現実認識として菖蒲の言動はおそらく正しいのだけども、甲鉄城の大衆様は愚民のようで。丁度この前にリゼロを視聴しているだけに、命を助けてもらったのだから恩義は果たすべきというのが頭をよぎる。戦前あたりからそうなんだが、日本では共産党が命を張って庶民の暮らしを守ろうとしたのに、その庶民は当時の権力層のレッテル貼りで毛嫌いしていたという構図が思い浮かぶ。何で権力層が共産主義をなんとしても弾圧してしまうのかというと、権力層の富や権力の源泉が搾取によって成り立っているからである。別に権力側が社会の維持のために必要最低限の取り分を庶民より多くしたって、そのありがたみがわかっていれば普通はそれを理不尽とは感じないもの。しかし、社会維持のために力を尽くすどころか、自分が美味い汁を吸うためだけに他人に多大な犠牲を払わせて搾取の限りを尽くすのであれば、庶民がもともとの取り分を戻せというのは当然のこと。権力側は分相応に搾取しているという自覚があるからこそ、その公平な分配を嫌い、その極限である共産主義であって、今獲得している既得権益をなんとしても失わないために容赦のない攻撃を行う。そしてその本質を見極めることができない愚民は権力層が行う酷薄な差別に恐れをなして自分を救ってくれる側を叩くのだ。そしてその構造は今、この瞬間もアベ政権の支持という形で維持されているのがなんとも気の毒というか。別に肉屋を支持する豚という構造は戦前から何も変わってないし、それはいみじくも昭和天皇が戦後30〜40年経過した後に国民性は何も変わってないという発言をしたことからも喝破しているという。
 そのへん面白いのは、恩知らずにどう対応したらよいのかは生駒よりもむしろ無名に背負わせているのかなという気はする。生駒のような態度だと、結局被差別階級に位置づけられ、いつまでも権力側(というか愚民側)に都合よく使い捨てにされる人生が続いていく。結局恐怖によって支配している権力側は、そうやって社会を毀損することによってしか権力構造を維持できないわけだし、愚民は愚民でその構造の中で搾取されるだけなので、結局その社会は最終的に破綻する。それが先の大戦植民地主義に走って周囲を怒らせ、行き詰った末の逆切れ開戦で国が滅亡したという結果を招いたことからも明らか。
 そして鋼鉄城の避難民が身の危険を知らずして縋るのが宗教。おそらく仏教だろうけど、仏教じゃなくても手本にぐらいはしてるだろう。死者を弔うということだったが、それ、ホント今にも襲われるかどうかの瀬戸際にやるべきことか?という。先の大戦でも結局のところ脱落者は見捨てゝ退却するしかないわけだし、その場で弔う余裕があるときはともかくそうでないときにはそうしないと自分が殺されるわけで、それでも弔うのであれば戦後遺骨収集などでやってることだし、それを差して当時その場で弔わなかったらダメと非難されているわけでもない。もともと死者を弔うということには、その死者が生前社会や家族というより弔おうとする個人に果たした恩義に対する感謝の意味合いが強かったわけで、死者を弔わなければ祟られるというのはその感謝を行わないと恩知らずになるというのがそういう形をとり、それが他者からの侮蔑を招くし、自責の念も招くというのが本質のはず。それをうまく利用してマウンティングを果たしたのが葬式仏教と化した宗教のあり方であって、描かれているのはそういう本質からズれた宗教による妄信に踊らされる民衆の姿でしかない。本質に立ち返るのなら祈りが届かないと考えることはないし、反省をするのなら存在やその被害について知っていたはずのカバネに対してなんらの対策もせず、いざ逃げるときに助けることができずに見捨てた自身のあり方であって、極めて利己的で他責的で状況判断力に乏しい愚民の姿を現しているとしか。これが日本でなければ、割とお上(政府)は信用できないからしたゝかな言動をするという描写が挟まれるのだけども、ヘンに気のよい姿が描かれるのは日本独特かなぁと思わされる。これがよい民衆のあり方と長い間ステマに近い形で刷り込まれるから、社会が荒れたときに騙される人間が多い…つまりオレオレ詐欺の被害が甚大*1なのは当然の帰結ではある。
 初話から気になっていたのだが、いくらスチームバンク風な世界観を強調したいからといって、描かれる鉄道システムが大仰。鉄道はいくら車両が優れていてもダメで、むしろ車両を除くシステムの部分のほうがかなり大事。駅に求められる補給や整備、蒸気機関なら今回描かれていた給水所、もちろん線路の維持も大変。運行には特に時間に正確な現実の日本の鉄道システムは情報の統合システムが重要で、さすがに必要なときだけ運行する世界観だとそこまでは必要ないかもしれないのだが、この作品では冒頭に他所から到着する車両の情報が関係者以外にもわかっていたし、そのへんしっかりしてそうな感じではある。なにより自分がビックリしたのは、車両自体に使われているだけでなく、随所に見られる施設に使われている鉄の量。もちろん資源としての鉄鉱石が豊富にあることも必要だが、もっと大変なのは精錬に必要な炭素をどう調達しているかということ。石炭の利用ができなかった江戸時代は炭だろうし、煮炊きに薪を使っていたのですら江戸時代は禿山ばっかだったのに、アレだけの鉄を生産するのに山の木を使うってのはちょっと大変な感じ。産業革命を達成したイギリスですら、その前段階の大航海時代の帆船を生産するのに国中の森林が消失したらしいし、国内で石炭が産出したから産業革命が成り立ったんじゃね?という話になる。そしてこれが話の本筋なのだが、あの世界観はそもそも背景を考えるに炭焼きの炭で達成されたように思われないから、おそらく鉄鉱石は輸入か産出した、石炭もおそらく産出したであろうから、イギリスの産業革命から察するに、あれだけの鉄道システムを達成した背景には過酷な炭鉱労働、鉄鉱石の産出についても過酷な労働があるだろうということ。もしスタッフがその意図があってあの鉄量を描写しているのであれば十中八九、背景に現代のブラック労働を前提としているであろうということが推測される。
 しかし、この背景なんだが、カバネ=亡者、鋼鉄城の避難民=愚民と、ホント救われるべき庶民の姿がほとんど見当たらない。権力の頂点にいると思われる菖蒲は権威はあって救恤の心を持ち合わせていても、現段階で実力はなく、武士階級も基本ハリネズミであって社会の維持には今一役立たずな感じ。全体の構造を見据える視点はあって行動力はあるけど、信用も技術もないのが生駒で、対カバネ戦では圧倒的な実力を持ち合わせていてもやはり人望がなくて集団への帰属意識が薄い無名、あと理念がばらばらで黙々と社会維持に努めるのが乗務員その他で、これが現代日本でいうと労働者なんだろうなとは思う。搾取階級を外部に追い出しているところで日和ってんなと思わなくもないが、この作品が甲鉄城に日本全体ではなくあくまで日本の一部を代表させていると割り切ってしまえば特に問題もないのかなとは思った。クレジットを見て今更ながらに気付いたのだが電通の名があって、だから庶民を自助努力のない愚民として描くのに躊躇はないんだなと納得した次第。そしてこれは残念というより、現実を明らかにしてくれたという意味でかなり正しい提示の仕方だとは思った。
 うーん、確かにお子ちゃま向けではあるんだろうけど、いろいろ読み解く要素を考えるとそれなりに楽しんでいるなぁという感じ。どんな要素を現実と同一化し、どんな要素を現実と違う部分で置き換えているか、そしてその意図は?という意味では、具体的な描写が多いから手掛かりが掴みやすいし、そしてそれをできるだけたくさんの視聴者にして欲しいという狙いでもあるのかなと思わなくもない。

*1:海外はこういう詐欺は極めて少ないらしい。もっとも他の詐欺や犯罪被害が多いのではあるが