ソードアート・オンライン Ⅱ 第19話

 OPが結構変わってた。
 どうやらこのエピソードはアスナが貸し出されるお話らしい。ネットゲームはやるけど、基本スタンドアローンなシステムのやつしかやらないので、こうプレーヤー同士でコミュニケーションをとる形式のはよくわかんないのだが、困ったことがあれば課金で解決じゃないのか?。とまぁ冗談はおいといて。
 アスナの母の事情が提示されたのが微妙な感じ。まぁ母のほうが正論ではあるんだが、どうなんだろ?。アスナ母自体が貧乏人根性まるだしというか、あさましいという描写なんで、そういう設定なら文句をつけてもしょうがないのだが、本当に子供に進路を返させたいんだったら、普通あんなにあからさまにいうんじゃなくて、子供に強制というのを悟られずにいろんな経験をさせて「やっぱ貧乏人と付き合うのは損」と自覚させるという形を取るはず。そのへんアスナ母の頭の悪さを描いて見せてるだけなのかもしれないが、どうなんだろ?。この作品だと善玉悪玉をはっきり分けるスタイルだと思うんで、父親の見る目がないという発言があとで盛大にブーメランとなるお話になる可能性大だなという気がひしひしとするのだが、アスナが連れて行かれる新パーティーでその御曹司がいゝ奴だったという展開もないわけではないのでそのへんはなんとも。しかし今地方銀行ってどこも経営が危なくて、合併が頻繁に起きて生き残りに必死というのしか見えなくて、仮に財政状況がよいとされる地方銀行なんて、そりゃ賄賂前提の法律的には真っ黒なところしかないわけであって、なんか素直にこの設定をよろこべないというか。
 今の名家って、安倍(岸・佐藤家)のように、外患の手を借りて権力を振りかざして他人の成果を貪るだけ貪る害虫でしかない例外を除くと、もう普通の業務を回しているだけで家を切り盛りできるだけの財力があり、他人から奪うことに邁進するより他人からの怒りを極力買わないように努力しているのが本当の姿で、まぁカネはもっているけど他人を遠慮なく傷つけて奪うってのはまぁ普通成金としか言わなくて、今の日本はそういうのが跳梁跋扈している状況。日本の大企業も、こうなんていうか、今はサラリーマン社長が自分の懐に以下に詰め込むかっていうので、自分の企業の組織をめちゃくちゃにしたり、商売環境を悪化させたりするのが普通になってしまっているが、昭和の初期あたりまでは三井三菱の政界と繋がって私腹を肥やすところ以外は、わりかし商売仲間との関係性を重視したり、産業全体の振興を考えていたもの。自分の一族の繁栄だけってところは、上流階級同士の姻戚関係でスクラムを組んだり、インセストばりばりでとにかく一族の富は他人には渡さないぞってところが多いんだけど、商売や店の存続を考えるところはむしろ優秀な従業員を婿に取るという例が少なくなくて(これは三井だったか三菱だったかもそういう方針だった)、キリトの立ち位置はそのように設定されているように見えるんだよね。
 しかしアスナの設定はあざといな。どう考えても自立しているようには見えないから、気立てはよいが世間知らずのお嬢さんというスタイルで、これはもうガチ昭和のヒロインのスタイルそのまゝ。そういう彼女が自分の存在意義についていろいろ格闘しているように見えるのがその後の平成初期に見られた自分探しによく似ていてなんか不思議な気分になる。でもこれはいわゆるウーマンリブだとかフェミニズムだとかを一周して得たむしろ新しい考え方になっているんだろうなと思わされる。1980年代の男女共同参画社会も、今政権が言ってる女性が輝く社会ってのも、基本は産業界による女性を安くこき使うための方便でしかな(かった)いというのがわかったわけで、現実問題産休が取り入れられてそれこそ長い時間がたつのに何で今さらマタハラなんて起きるの?って転倒現象が起きていることからも明らか。男女平等といってる女って、結局のところその女が職場で成り上がるために利用しているだけの話で、逆にそういう女に周囲の女性が負担を押し付けられたり踏み台にされて、結局のところ女の敵はそういう声の大きな女だったという構造が見えてきたのが大きいんだろう。アスナの姿は腕の立つ剣士というところから、擬似的に仕事のできる女性として描かれており、それが旧アインクラッド編では、じゃぁ仕事ができるからそれで創造的な仕事で生き生きとして働けるのか?と言われたら、実は生き残るために地獄で格闘せざるを得ないという羽目に陥ってしまい、心の安らぎは湖畔の静かな家で擬似家族を演じることであったというところからもね、まぁある意味原作者の答えはもう示されているわけでして。今回の話も結局昔のスキルを人助けに使い、それはそれで社会の必要性に応えることはあるし無駄なことではないんだけど、結局のところ安らぎの生活に回帰するという結論に持っていくのでは?とも思うんだけど、はてさてそうしますかねといったところ。
 GGO編ではリアルとヴァーチャルの世界に関連性を持たせて自分的には今一だったけど、今回もその轍を踏むのかちょっと心配。