たまこまーけっと 第4話

 そういうのやらないのかと思ってたら、あんこ担当回。
 うーん、10年前の自分だったら、あんこにフォーカスして作品を見ちゃってたんだけど、今となっては商店街の描写が気になってしまっている。普通こういう、恋愛だとかコミュニティ外に興味津々な思春期の娘が、家業との狭間に揺れるってのは主人公が担うものだったのだが、主人公自体がもうコミュニティに溶け込んじゃってるので、妹が受け持たされることに。祭りというかコミュニティを美化せず、むしろ過度になるのを防ぎながら、あんこ自身にコミュニティの一員であることを自覚させているのだが、話の展開はそのようなビルドゥングスロマンになっている。
 自分が気になったのは、まぁそれが主題だからというのはあるんだけど、やはりサラリーマン世帯との違いだよね。あんこは自分の気持ちを優先させてはいるんだけど、やはりコミュニティとの関わりを時にめんどくさく思いながらもそこから離れるということまでは考えておらず、こういうそれなりに個人を縛る環境は、そういやサラリーマン世帯にはないんだろうなと。もちろん商店街からのあんこへの働きかけを描かずに話を進めることもできる。今までの普通のラヴコメだったら、そういう部分を描かずに、小さな恋の物語オンリーでやっちゃうよね。まぁ実際の商店街の人間模様がこうだ!というのではなくって、これがスタッフの考える、ゆるやかな地域の連帯…というか、つきあいとはこういうものなんじゃね?もしくはこうだったらいゝよねという、理想形というか提案というか。ヘンな話、ほっとくとベッタリになってしまいがちな人間関係をもうちょっと適正な距離に保つためには?という部分も含んでいそうな気がした。
 見ていて思ってたんだけど、やはり地域コミュニティってのは、今のようなサラリーマン主体の雇用形態になってたら、そりゃ崩壊の一途を辿るだけなんだろうなというのはわかった。地域の人間を地域とはかけ離れた企業体に縛ってしまえば、とうぜん地域の担い手はいなくなるわけで、じゃぁそれを企業活動で支援しましょうだとか、サラリーマンが個人の時間を犠牲にして地域に関わるというのは、本末転倒だというか、やっても意味のないことだったんだなと。そこに住まうサラリーマンが転勤族であろうと定住世帯だというのも関係なく、職業生活を含む生活全体をそのコミュニティで過ごすのか、企業で過ごすのかというのはかなり隔絶した選択だったんだなと思い知らされる始末。まぁ自分自身がサラリーマン世帯に属する人間だったので、今さらといったところだろうね。おそらく商店街に限らず、高度経済成長期から地域コミュニティを担ってた人たちの切実な悩みだったのかと今さらながらに思い知らされる。が、京アニが、社員の出自はどうあれ、それ自体サラリーマン社会に属する集団がオリジナルアニメとしてこういうのを出してくるというのを考えると、やはり今までの大企業主体の経済に重大な齟齬というか、まさしく欠陥が露わになってきている時代なのかなという気がしないでもない。地域コミュニティからの警告なりSOSでなく、そうでない側からの提示だからなぁ。若年層向けのメッセージとしてね。