やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 第8話

 入学式の日に比企谷を轢いた車が雪ノ下のだったとは。
 こりはビックリ。で、轢いた雪ノ下の関係者は比企谷の家に謝罪に行ってないようだな。かと思えば陽乃の比企谷へのあの構いっぷりはなんなんだろ?。フツーに考えてあのリムジンが比企谷を轢いたことは雪ノ下家の誰かは知っているはずだが、かといってそういう素振りでもなかったようだしな。で、比企谷も由比ヶ浜もリムジンが轢いたことを知っているという。
 今回も比企谷の勘が冴えてたな。とはいえ鶴見がぼっちという状態から抜け出たわけでもなし、あの描写ではどんな結末になったのか今一はっきりしない。キャンプファイアー時に鶴見が比企谷をスルーしたのはなぜか?といったところも、いわゆる問題の解消で比企谷に用がなくなったからなのか、怖い目にあわせた高校生グループの一員ということで信用を失ったのかとか、読みにくい。まぁ葉山にしろ雪ノ下にしろ平塚先生にしろ、比企谷にかけていた言葉を考えると、鶴見のぼっち問題は解決に近い形になったと捉えるべきなんだが…。
 自分が間違っているのか世界が間違っているのか、変わるのは誰なのか?という問題はバランスがとられていて感心する。これ、一昔前だと変わるのはいじめられている(搾取されている)法であり、エスタブリッシュメントは無謬の存在であるって態度の小説しかなかったような気がする。世界が間違っているのであれば、例えばファンタジーあたりでは魔王とかの形で、敵という存在になっていたハズ。これはこゝ5年ほどの変化だと思うんだけど、バブル崩壊後、やたら庶民が切り捨てられてそれが政治によって正当化され続けてきたんだけど、経営層の経営判断ミスであることが明らかになってきたのが大きいような気がする。バブル崩壊直後はやたら現場のスキルアップだとかプラス思考だとか言われてたゞろ。でも20年経ってそれが全くのウソであることが明らかになったわけだ。悪いのは末端の社員ではなく、実は経営層や、それに支えられた政治屋ってのが、こゝ数年のトレンド。この作品ではそういうエスタブリッシュメントがほとんど出て来ないんだけど、末端の分断されている人間達を仲介として、そういう問題を提起しているような気がしないでもないな。今回比企谷が使った「分断統治」は、特権階級が庶民の反撃の手段を無効化するために行うもの。むしろ鶴見をハブにしてたような層が使ってたやり方なんだよね。それを比企谷は逆に特権階級側に使うという。この敵側を疑心暗鬼に陥らせるという方法自体は昔からいろいろな物語に使われていたんだけど、支配者−被支配者という構造に沿ってカウンターとして使うのは結構斬新。
 しかし、今回よく三浦が比企谷のアイデアに従ったよなぁと。いや、もちろん比企谷を人間として認めている葉山のとりなしというか、促しがあったんだろうが、あの様子だと比企谷のアイデアがもたらす結果にほとんど疑いを持たず、むしろその推移を楽しみながら三浦たちは演じきっていたという描写だった。葉山も小学生時代何かあったようなほのめかしなんだけど、でも今回聞き逃しそうになったのが、葉山が比企谷をひきたにからひきがやと呼んだこと。彼はどう読むのか知っていて、今までひきたにと呼び続けていたっぽい。当然葉山の中における比企谷の位置が上位に据えられたというシグナルなんだけど、まぁ正直今までも葉山は比企谷を認めていたっぽいからなぁ。なんというか、むしろ比企谷が一人を好むんだろうと踏んで、余計な干渉をしないという態度を彼は取り続けて来たんかなと。
 雪ノ下@早見沙織は、それはそれでハマリ役だからアレなんだけど、@東山奈央、@小松未可子、@悠木碧、@柚木涼香、@中原麻衣、@井上麻里奈と、メインキャラのほとんどが声が響く女性声優達ばかり。ぼっちというテーマ自体が物語を暗くするのを避けるためってことなんだろうけど、ちょっと総体としてうまくキャラ同士が溶け込んでいるって感じではない。かといってウザいとかそういうのは感じないので目論見どおりなんだろうね。割と自分の好みの声優がそろっているので嬉しい限りではあるんだよね。