ソードアート・オンライン 第15話

 トリプルディスプレイじゃん。
 うらやましい。しかし都心じゃないとはいえ、関東での庭の広い一戸建てとは。しかもお兄ちゃんと読んでくれる可愛い従姉妹までいるとは勝ち組じゃん。
 アスナはまだ昏睡状態らしい。アインクラッド編で一度ゲームクリア前に死んだから、それであの状態なのかと思ったら、どうも違うっぽい。あれで婚約者とアスナに好意があったらこれまた複雑なことになったのだが、そこらへん都合がいゝな。とはいえ、もしリアルでの心の通い合った婚約者がいたら、ゲーム世界でも結婚しなかったろうからね。
 とまぁ、アインクラッド編を見てしまったら、アスナとキリトの運命共同体っぷりは充分承知なので、キリトの悲しさはもう説明が要らないほど。しかし、従姉妹の直葉もこれまた捨てがたいのがなんとも。キリトがモテるのは別に問題ないんだけど、物語とはいえこの不公平感さはいかんともしがたい。
 ずっと世界を救う主体が個人のSAOとチームのAWとの距離感を考えてたんだけど、今一よーわからん。原作者がどちらの立場をとってるんだろ?と考えたところで、両方の可能性(道のり)を示したんじゃね?で終わってしまう。とはいえ、AWのハルユキは加速世界ではレヴェルが低いだけで、電子ゲーム一般では結構能力があるっぽいし、SAOのキリトだって仲間がいないわけじゃない。社会人になれば、人と人との距離感がキリトみたいなのが多くなるってだけの話ではある。しかし、倒す主体は結構孤立しているけど、倒される悪としては共同謀議というか、共犯者が結構いるんだよな。利権を独占しなくてはならないから、当然インナーサークル内の人数は制限されるんだけど。本当に既得権益層を倒そうと思ったら、既得権益層以外の人数のほうが圧倒的に多いんだから、団結なり連携なりして倒すことが簡単なんだけど、既得権益層からの実際には貰えない見せ金で分断化されたり、既得権益層にだけ都合のよいルールを敷かれて(これだって既得権益層以外の人間達が共同して無視するなり、新たなルールを作ればよいだけなんだけど)、反撃できないようにされてしまうという。しかも穢多・非人のような、大衆の不満のはけ口を用意されて、本当の敵から目を逸らさせてしまわされるという。そして力を奪われた大勢の人間は、団結するわけでも個人としての能力を研ぎ澄ますわけでもなく、安易に英雄を求めると。そうなるとターゲット層の年齢高めのSAOより年齢低めのAWのほうが本当は望ましいんじゃね?とも思えて来るんだよな。