ソードアート・オンライン 第2話

 こう、なんていうのかな、技を繰り出すときの効果音や演出が燃える。
 コレ、子供用のアニメだと技の名を絶叫するところだろう。でもそれやっちゃったらみんなが武器を振り回す度に聞こえてきて鬱陶しいだろうね。しかしあの音を聞くと「あゝ、やる気充分だな」ってのがわかるんだけど、それ以上に戦うというか戦いに対する意志が具現化しているように思えるんで、それがまた堪らない。もしかするとそのうち飽きちゃうのかな。
 さて、今回はのっけから燃える展開。共同で何かを成し遂げる必要性について述べられているんだけど、βテスターがそれまで単独行動して経験値稼ぎをやってたという描写は省略されているんだよね。それをキバオウ@関が格差だ卑怯だとか言ってるんだけど、あの言が出てきたときには思わずこちらも賛同しそうになった。
 キバオウのどこがマズいのかというと、それはあの状態でなんでも平等にしたところで、それは必ずしも良い結果を生まないってのがある。あのゲームの参加者が全員善人であるとは限らないわけで、そういう敵味方不詳の折に価値のある情報を提供するのは自滅するもとになる。下手すると恩を仇で返されるのもよくあることだしな。だから落ち着いた頃に周囲を見計らって組織化をしたというディアベルの判断は正しい。あの世界でしばらく過ごして困難さを実感して思いを共有化できる段階をちゃんと見極めていたとみるべき。そういう意味においてキバオウは組織にとっては自滅の要因でしかない。ToLOVEるダークネスでもヽヽがみんな平等にリトの愛を受ける権利がある…といゝながら、実は独占したいという思惑があったように、キバオウの態度は彼自身がそうなるかならないかを別にしてもやはり情報を横取りする動機を誘引してしまう。で、キリトが最后啖呵を切って団体行動から抜け出したのも正解と思うしかない。ディアベルというまとめ役を失った以上、キバオウのような意見を抑える歯止めはなくなったと見てよい。そういう組織にいても最低でも居心地は悪いし、たいていはいじめにつながる。まだ深入りしていなかったことも幸いで、キリトの判断は間違っていないと思われる。
 さて、困難を目前にしたときに、各人どのような判断をして行動すべきか?というのが今回は(反面教師も内在しながら)特に示されていて燃えた。ディアベルの矢継ぎ早の指揮ぶりといゝ、キリトゝアスナの役割分担といゝ、もう涙なしでは見られない。あの場面で自分の保身のためにわざと仲間を窮地に陥れたり背中を撃ったりするということが、現実の職場では結構あることであり、そういうのを経験してしまうと涙が止まらないんだよね〜。
 で、AWと比較すると、AWはあくまで仲間内での物語になっているけど、これはどう考えても社会構造に対する問題提起がなされている。なかなか対比としても面白い。