ソードアート・オンライン Ⅱ 第7話

 そういやALOでもあのアバターってことは、要するに素顔なんだよな。
 いやまぁ視聴者にわかりやすいよう、ゲームでは換えているアバターを変化無しのように表現しているってだけなのかもしれないけど、そうであるならば、作中でそう述べるはずだしな。
 大会前のインターミッションというか掘り下げの回。いちおう支える側も含めてキリト側とシノン側の対比ってことなんだろうけど、シノン側の環境が今一下げられていて単純な対比ではないというか。いやまぁシノンは救われる側なんで、キリト側を喰ってしまうわけにもいかんとはいえ。
 やはりキリトの加害者としての過去に悩まされる描写が今一わからん。そういう設定だと言われてしまえばそれまでだが、やはりゲーム世界では実在としての存在を味わえるはずがなく、ゲーム世界でNPCやモンスターを殺している際に自分や相手(NPCやモンスター)の生死を気にしているはずもなく、殺している実感もないのに、ゲームでHPが0になるとデヴァイスを通じてプレーヤーも死ぬといわれてハイそうですかはないと思う。現実世界に戻っても、まず他のプレーヤーの死に直面させてもらえるとも(直面したという描写はあったが)思われず、やはり人殺しをしてしまったというのはあくまで個人個人の感受性によるものが大きい。国防総省に雇われて合衆国本国でドローンを操作して中東のテロリストや民間人を殺していた人も結局のところ1000人以上も殺しており、そのへん、やはり間接的だと感覚は麻痺するのだと思う。ドローン操作の場合、操作者は基本ドローンのセンサーを通じて赤外線の発熱体のような形で、ぼんやりしたものを攻撃するのであり、自分は安全なところにいる以上、もうそのへんかなり具体的な死のあり方からは遠ざかっている。結局のところ、キリトは自分が死ぬかもしれないという恐怖心を通じて人を殺してしまったことに罪悪感を将来しているのであって、現実に人を殺してしまったことによって直接的に精神的なダメージを受けてないから、やはり思春期特有の感情の振幅の大きさにやられてしまってるんだろうと予測。そういうのが他者の共感を得られるとはあまり思えないんだよね。だからこそOP・EDを通じて(起こった事件にリアリティはないが)直接人を殺してしまったシノンの描写が大きいわけで、本当ならもっとシノンにフォーカスが当たるべきなんだろうけど、それはそれで読者(視聴者)にはわかりにくゝて、いや確かにキリトを軸にするのは正しいとは思うんだけどね。