ToLOVEる-とらぶる-ダークネス 第8話

 一番のお色気要因は古手川なのか。
 今回は妹やその他の人々の紹介。どうやら今までの話はモヽがリトに見立てたハーレム要員の紹介って側面が大きいらしい。今までの本編?ではサブキャラの担当回ってそんなになかったんだろうか?。本編は西連寺やラヽが主人公だったみたいなんだが、それにしてもラヽの担当回は前回だっけ?あったしな。今回は妹がしんみりする話になっていたせいか、全体的にしっとりとした進行で、派手さはないんだけど、むしろ密度は大きかったような気がする。ツンデレ古手川が自分の気持ちに素直になったというのはどうやら大展開らしくて、それでもおそらく今までの古手川のツンツンぶりを見てなかった自分にも転回点であるってことはわかった。
 でだなぁ。ハーレムについて、一人の男が多数の女を独占する是非云々なんだが、そういうのはあんまりやらないんだろうか?。ヤミが自称妹の芽亜との関係性をどう構築するのか、また芽亜が人間性をどう獲得していくのかというテーマのほうが大きくなっちゃっていて、むしろそっちのほうが本筋なんじゃないかという気はする。で、何の因果か日本残酷物語1 (平凡社ライブラリー)を読んでしまった。これがおもしろいのなんの。宮本常一の本は昔読んだことがあって、これもまた面白かった記憶しかない。今回読んだのは宮本常一は監修者の一人であって、いくつかの文章を担当してはいるんだけど、基本ほかの民俗学者との共著という形になっている。でも宮本常一担当分だけじゃなくて、全体が面白いのだ。で、この本は古くは鎌倉時代あたりまでさかのぼったりはするんだけど、基本江戸以降の日本の習俗を書いていて、まぁ昔の日本って結構妾の存在がメジャーだったみたいなんだよ。この本のシリーズが貧しい人々を中心にしているせいか、その貧しい人たちが売られていく様子がもうてんこ盛りで書かれている。売られた先だの出稼ぎ先でお手つきになったゞの、枚挙に暇がない。そこに描かれるのはカネ持ちは節操なく妾を持つということであり、このアニメだとリトがお大尽じゃないってだけで、昔の日本だったら婚姻関係を結ばないまでも一人の男が複数の女と関係を持つということ自体は別に珍しいことでもなんでもなかったわけだ。今の日本だと貞操概念がどうのこうのと問題になるが、むしろ今のというか、ちょっと前までの日本の「一生添い遂げる」といった考え方のほうが長い日本の歴史の中ではかなり珍しい時期にあたる。ちょっと前にも書いたが、江戸時代は離婚も多く、現代の日本が恋愛結婚が多くなって無責任な夫婦が増え離婚率が上がってきているといっても、それ以前の離婚率が低い状態だったというのがこれまた長い日本の歴史では異常事態なのであって、そういうのがわかってしまうと、このアニメでいうハーレムってのが倫理的にそう目くじらをたてるほどのものでもないんだな…長い日本の歴史の中で見ると…ということになる。皇国の守護者あたりの倫理観が、あの小説で想定している明治-大正期では、あれはあれであたりまえだったわけだ。まぁ本を読む限り、宮本常一が老人に聞き取り調査をしているのをみると、昭和30年ぐらいまではそういう倫理観がまだ残っていたという雰囲気を感じる。
 というわけで、まぁ是非云々というより、勝者、いや強者総取りって状況は日本的に見れば昔に戻っているだけの話なんだろうなとなんか肩透かしを喰らったような感じだ。大阪愚民が橋下のようなのを支持したり、自民盗が組合叩きをしているのを愚民が喝采したり、教育者や医療関係者をサーヴィス業扱いして、その末学校や病院が荒れたりするってのも、これも昔の旧弊うずまく日本に回帰しているだけ。国民が特権階級に搾取されてそれこそ江戸時代のように生きていくことだけで精一杯で爪に火をともすような生活に戻っていくというのに、それに喜んで賛成する様子は、もうホント馬鹿なんじゃねぇのとしか思えないんだが、それでも自民盗に政権をとらせて自ら苦しもうってんだから、これも狂ってるとしか思えない。正直この作品でいう一人の男がいかに思いやりがあるからといって、多数の女が寄っていく様子を見て「あぁいう状況になったらなぁ」と視聴者が妄想をたくましくするというのであれば、それはすなわち現実の世界でイケメンとかリア充に女を独占されても概念的にそれを肯定するってことにしかならないんだけど、そういうのを自分で自分の首を絞めているって考えないのかねぇ?とばかりにやはり当初この作品のそのテーマについて頭に浮かんだ決して肯定的ではない疑問を痛感せざるを得ないんだが。