経営ってなんだろうな

 2012-11-03
 最近社会問題についてのエントリーを書かなくなって久しい。ブコメでガス抜きできちゃってるんだろうなと思いながらも、書きたい話題がないこともないのだ。が、書いたとしてもたいした内容にはならないんだろうなというのも同時に想起される。まぁ前フリはともかく。
 ちきりん女史のエントリーは当たり外れが大きくてアレなんだけど、このエントリーの出来不出来はともかく、フックとして面白かった。思い浮かんだのが、
 「ちきりんの言ったとおり、価格決定権を握ったところで経営はうまく行ったのか?」
 という視点。今でこそ外国製品は安いものとなっているが、昔は舶来品は高かった。その上関税をかけて国民には手の届かないものにしていたので、舶来品は高級品の代名詞であって、カネ持ちしか買えなかったのだ。かといって、安い外国製品に高い関税をかけて国民には自国製品しか換えないような仕組みにしたらどうなるか?というのがある。もちろんそんなことをした暁には当然海外からは報復関税をかけられて日本製品が海外に売れなくなってしまう。では国内企業は輸出ができないことを前提に、国内向け製品を作って自国内で経済をまわすことが選択肢として可能なのか?というのを考えると、なかなか面白い思考実験にはなると思う。そりゃこのようになったのは、もちろん国内企業が輸出による利益を初めから狙っていたので、ありえない話なんだけど。
 結論を先に言うと、経済成長はできなかっただろうけど、雇用が今よりマシである可能性が高いので、その分今の状況よりは良かったんじゃないかと思うのである。で、その状況ってのは「もし日米貿易摩擦、つまり自動車と半導体での問題が起こらなかったら」という歴史シミュレーションと等価なんじゃないかと思うのだ。合衆国に経済戦争を吹っかけたら外交で負けてコストダウンの方策を採らざるを得なくなった、で、第三諸国に工場や労働力を依存することになり、技術情報が流出、日本が新興国に抜かれ三流国に脱落という流れはもっと遅かったと思う。10年ほど前からの中国の元切り上げ圧力の騒動を思い出してみると、貿易摩擦が無ければ、おそらくプラザ合意も無く、というかその前提となる輸出超過もそれに付随するはずの生産体制もそれほどないってことなんだけど、まぁともかく、外貨の法外な獲得が無かったと考えると、バブルも恐らく起きていなかった。日本の'70年代が無かったとすると、きっと中国の改革開放もなかったろう。でもソ連は間違いなく崩壊してたろうな。
 で、日本に貿易黒字の前提となる産業が大きくなかったと考えると、農村から人を都市部へ引っ張る力が弱かったはずで、過疎化は大なり小なり起こっているだろうが、限界集落ほどの問題はもっと先送りされていたはず。テレビは値下がりが緩慢だったろうが、冷蔵庫の普及はそれなり、自動車は高嶺の花の状態だろうが、省エネ(貿易黒字が大きくないため)タイプの方向性でゆるやかに発展していただろう。エネルギーやモノ自体が高価なんでモータリゼーションの発達もゆるやかで、鉄道の廃線もあとに引き伸ばされていたかも。
 まぁ全体的に時間の流れがゆるやかだったんじゃないかという気がする。ヘンな話だが、自民盗が今も中庸の支持を受けてずっと政権が続いていた可能性も高い。古い考えが残っている可能性も高く、今よりは表現の幅も狭かったろうが、たぶん大多数の人間は別にそれが悪いとも思っていないだろう。日本がそういう状態だったら、ヨーロッパの外国人労働者の問題を見て「アレは日本に導入したらアカン」となっていたゞろうから、地方の疲弊は進行性のものにはならなくて一定レヴェルで止まっていた可能性だってある。高齢化社会自体は今と変わらないペースで起こっていただろう。が、爺ちゃん婆ちゃんを老人ホームに叩き込んで終わりってことはなかった可能性が高い。となれば、男女参画社会だの、男女雇用機会均等法だのといったものも無い可能性もあるので、晩婚化のペースも遅く、少子化の部分は少なめであった可能性もある。
 ifをまとめると、急激な成長が無ければ急激な破綻も起こらなかったというもの。で、急激な成長の原因は何か?と言われゝば、これは間違いなく政財界の我欲であることに賛同してもらえると思う。敗戦以前の状態に戻れないとして、まぁ評価できる政治屋でもないんだが、吉田茂は合衆国の操り人形として避け得なかったとしても、そのあと池田はともかく、岸はダメだったと思われる。せめて岸信介の変わりに福田康夫ぐらいの節度のある人間が首相になっていたら、かなり様相の違った日本になっていたに違いない。となると破綻の結果は30年で出たのだが、50年ぐらいのスパンで国家を考えないとダメなんか…。しかも変えるのに50年かゝるとしても、変えるのに必要な人材を育てるのに最低でも20年(志のある大学生が若手の政治家、財界人として世に出るのにかなり少なめに見積もって)、大体40年ぐらいかゝるとすると、100年だわね。そりゃその時間かけてうまくいく保証だってないのに、目先とまでは言わなくても自分の家族単位で考えてそこまでやる人間はフツーいないワナ。しかし、明治維新から(気運自体は江戸時代末期からあるわけで、)日露戦争に勝って工業生産力(しかも劣悪な労働環境)を手に入れる第一次世界大戦ぐらいまでほゞ50年。フツー誰もやりたがらんよね。
 というわけで、価格決定権っていうより、やっぱ国家のグランドデザインをどうするか?って視点は必ず要るだろう。明治の元勲だって幕府を倒して出世するぜヒャッハーって部分はあったろうけど(しかも20代の若者だったりするが)、海外を見てこりゃいかんと、命を落とす羽目になる(とも思っていなかったろうが)かもしれないが、広くは無いにせよ高い視点で物事を判断してたろうと思う。でも今だとそういうモチベーションは持ちにくい社会になってるよね。社会を変えるぐらいだったら我欲を満たせってところか。変革は起き難くなっているが、起きるとすれば貨幣価値を超越する存在なんだろうなと思ってしまう。そうじゃないと強弱逆転しないもの。