ここ1世紀ほど、世界の混乱の中心の一つに、日本のやりすぎがあるんじゃないかと。

 まぁいつもの思いつきなんだけど、その思い付きをメモとして残しておくということで。
 江戸時代の日本はほゞ鎖国状態だったので、世界に対する影響力ってのはほとんど無かったと見ていいだろう。ところが、明治維新以降日本は欧米列強の植民地になることを嫌い、国力の増強に邁進してきた。それ以前にどうも合衆国ってのは日本を「中国を大陸に閉じ込めておくための前線基地」という視点で開国を迫っていたのだろうというのも何回か書いた。
 さて、日本なのだが、なんつーか、植民地にされたくないというよりは、その後の成長で勘違いすること甚だしく、大国になりたいという願望が強かったのではないかと思われる。そして、その願望こそが世界を混乱に陥らせてきたのではないかと常々思っていた。願うのはいゝのだが、どうにもやりすぎてしまうのである。ほどほどのところでやめとけばいいのに、欲に目が眩んで頭がかっとなるのか、チキンレースでブレーキがかけられず*1、ドボンの状態によくなるのである。
 まず、一つは中国における利権の獲得である。今ナイトレイドでその場面になっているが、満洲国の成立までは合衆国も大目に見ていたのだろう。満洲なんてソ連と日本との緩衝国なのであって、ソ連の南下政策を日本が食い止めてくれるのなら、合衆国としても実は歓迎だったのだろう。そもそも満洲にはソ連もしくはそれ以前のロシアの権益こそあったが、英米の権益は無かった。だから日英同盟が健在の時期は日本が満州に権益を獲得する事は英米は黙認していたと見てよい。
 が、やりすぎた。日本が満洲だけでなく中国の利権も欲しがった時に英米を初めとする列強との衝突が起きることになる。そもそも日本は中国と戦争をして仮に勝ったとして、中国をどうしたかったのか?がわかんない。具体的なものが浮かんでこないのだ。まさか日本に併合することなんて考えて無かったよね?。じゃぁ何で中国に手を出したんだ?ということになる。そして、それは欧米が中国に持つ権益を、日本が横取りすることになる。そりゃ日本は叩かれるよ。
 そして敗戦。それこそ日本は合衆国にケンカを吹っかけて、どの程度で勝ちにするのか、勝った所で合衆国から何を得るのか、これがわかんない。やりすぎというより無謀としかいゝようが無い。
 敗戦後、高度経済成長期を経て、日本が貿易立国として力を持つようになり、自動車の輸出で合衆国に叩かれるのが'70年代。日本に生産設備が整い、日本国民が食えるようになったのに、さらなる貿易黒字を求めてやりすぎてしまうのだ。そして合衆国に工場を建てさせられてしまう。で、よくよく考えてみると、世界はそんなに自動車を欲しがっていたのか?と言えば、それほど供給が逼迫していたという印象も無い。むしろ'70年代なんて、まだ日本国民にも自動車が行き渡ってはいないという状態で、そしてまだ舶来にステータスがあった時代だ。外車は憧れの的ではあったが、じゃぁ海外のメーカーは日本にクルマを売って儲けたがってたか?と言われると、そんなに積極的であったという記憶はない。だから、日本は海外に日本車を売りつけるために安値攻勢をかけ、世界の自動車メーカーを過当競争に追い込むきっかけを作ったことになる。それぞれの国で棲み分けをしていれば、必要以上に自動車を作ることも無かったのに、日本の自動車メーカーが欲に駆られて海外に喧嘩を売ったのだ。
 そして半導体だ。これも事態の推移は自動車と似ているだろう。今でこそ知的財産権だのが言われているが、日本のやったことなんてCPUやメモリーのコピー品を日本の得意とするQCで生産性を挙げ、本場合衆国製品を駆逐してしまった。もちろん半導体の独自設計も日本はやっていたとはいえ、やはりやっていることは合衆国が作り上げた成果を基盤に発展させていったものなので、合衆国からすると基礎技術を横取りされた上、本歌取りでシェアを奪われたワケだから、日本がズルをしたとしか言いようが無い。自分が就職して、98シリーズの最廉価版を買ったのが'90年代。日本は自国民にコンピュータを普及させるより、世界に対して半導体のコピー品を売って儲けることを優先した。やはり日本はやりすぎてしまったのだ。これが'80年代のこと。
 '90年代になると、日本は工場を海外移転させることを急ピッチで進めることになる。もちろん、プランテーション農業などで、海外にモノを作らせて、その後収奪するって構造は、欧米列強の帝国主義が嚆矢ではあるのだが、それを工業製品であくどくやりだしたのが日本だ。海外の安い土地、安価な生産設備投資・人件費で本社がゞっぽり儲けるってのをやり始めた。そうなると、同じ製品で価格の安い日本製品が売れるのは道理だ。そしてそのやり方を他の国も真似することになる。
 中国への投資も日本がやり始めた。元々中国に目をつけていたのが欧米列強なのに、マレーシアだのインドネシア、フィリピンなどでの海外投資の経験をもとに、解放直後の人件費がバカ安の中国に進出して莫大な利益を得ていたのが日本だ。やはりやってることは横取り。欧米としては今まで我慢していたのに、日本が横取りで中国を喰い物にしていくと、我先にとやり始める。
 という具合に、実は「経済一流、政治三流」と日本が言っていた、日本経済の強さって、要するに、日本の経済界が世界規模での協調性を無視して、とにかくカネになるものは真っ先にカネに換えて、商売のルールをメチャクチャにしてまで先行者利益を手にしてきたことなんじゃないかと気付いたのである。はっきり言って、日本が世界相手に商売しなければ、経済は急成長してクラッシュダウンなんてせず、緩慢ではあるが持続的でバランスの取れた成長をしてきたのではないか?とさえ想像するのである。はっきりいって経済は一流ではなかった。確かにコストを抑えて品質の高い製品をつくってきた日本の技術力は今尚高いものがあるんだろうが、すくなくとも経済界のやってきた事は、世界が暗黙の了解でお互いの領域に手出しをしないというルールを無視して、がめつくカネを追求したことだ。ユダ金も'90年代に入って、活動を活発化させ、一国の通貨さえ破綻に追い込むことをやってのけるわけなんだが、生産能力や技術力を日本に奪われて、それでも利益を追求せざるを得なかった彼らなりの生き残りの手段ではなかったのか?とさえ思えてくるのである。いや、ヤツらのやってることもあくどいけどね。
 昔のことであって、どこで読んだのか忘れてしまったのだが、日本製品が世界を席巻した時に、欧米の企業家は疑問に思ったそうだ。当時の日本(自分が小中学生の頃なんだが)はとにかくシェア競争をしていて、赤字であってもとにかく生産をして海外に売りつけるんだと。日本製品の品質が向上しつゝあったときで、値段も安かったから、その海外製品はたちまちのうちに駆逐されてしまうんだけど、かといってシェアを獲得した日本の企業が赤字であることにとても疑問をもったらしい。過剰生産だから製品が市場に飽和するのも早いしね。なんで日本企業は利益も上げられないのにこんなバカなことをするのかと。で、日本企業はせっかく獲得したシェアも、年月が経つとその赤字体質で業務撤退せざるを得なくなるし、海外の企業ががんばって、日本企業からシェアを奪い返すと(しかも海外企業は黒字体質だ)、当然日本企業は素寒貧になって撤退せざるを得ない。もちろんシェアを獲得することによってしばらくは日本製品が売れ続け、赤字をリカバーすることも多かった。消費者にとっては品質のいゝ日本製品が安く手に入るワケだから、しばらくは買い続けるだろう。しかし、コストとの臨界点を越えたとき、しかも要らない機能がてんこ盛りの製品は買わない。消費者として必要な機能が十分なら、旧製品から買い換えることなんて外国人はあんまりしない。買い換え需要を喚起するために製品寿命を切り詰めた日本製品なんて消費者は見向きもしなくなる。海外工場で生産してさえ高コストになってしまった日本製品、しかも外国は機能を絞って無駄を削って安価に生産してくるとなると、そりゃ日本製品は売れなくなるだろう。
 そもそもモータリゼーション、つまり自動車を使って生活を便利にしようとする発想自体が海外発祥のものである。情報化であってもやはり合衆国発祥だろう。製品を作る前から、その製品が売れるための社会基盤や思想ってのを海外ってのはまずやってる。ところが、日本っていうのはその思想にはタヾ乗り、製品の青写真もタヾ乗りしてきた。日本経済なんて一流でもなんでもなくて、実はやってることはタヾのドロボーでしかなかったのだ。しかもそのきっかけを日本の経済界が率先してやってきた。彼らは将来設計なんてしないし、その過程で何が必要となるのか、そのために今何をしなければならないかって視点は全く欠けている。やってることは「奪うことだけ」なのだ。しかも世界規模の産業のイニシアチブなんてもうとっくに失ってる。しかも、その日本のやりすぎって体質を、もう海外の企業も持ってしまっているのだ。技術はすべて捨てて農業国に変われなんて言わないけど、この泥棒体質の経済界の解体ってのはいち早くやらないと、日本の復活はそれだけ遅れるってことではないのかと思うのである。解体をやって、あくどい奴らをすべて放逐してから、国のデザインからやり直したほうがいゝんじゃないかと思うんだがね。

*1:どうも日本の我欲の強い経営層は途中からブレーキをかけることが悪いことだと思いこんでしまうらしい。