2012-05-27
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20120528/1338173209
で、親学がどうのといった動きがあるわけで、なんか混乱の極みだな、いや、学校教育が混乱しているのは前からで、ようやく問題の真相に切れ込んできたかなという気がしないでもない。
どうも日本だけでなく、先進国に顕著で世界的な問題らしいのだが、学校教育がどうも機能していないらしい、それも別に教師に問題があるのではなくって、システム設計を間違っているんじゃないか?というところに差し掛かってきたようだ。教育に限らず、バブル、もしくはそれ以降、例えば本業を忘れた経営責任を問わず、とにかく労働者を追い込めばバブルが再来するだの、労働者を切り捨てれば問題は解決するだのという、経営サイドの無責任体制が続いた結果、この失われた20年があったわけで、そろそろ現場の労働者に責任を押し付けるのはやめよう、経営側に責任を取らそうという動きは出ていることだと思う。
第二次大戦後、先進国では技術の民用転換が進み、各国国民の貧困を解消する形で国力が上昇、プラス後進国との格差も進んだという流れだったと思う。その中で、技術の根幹である学力の向上がその国の経済力だけでなく、労働者の生活水準が上がるという形で双方が相乗効果で発展してきたのじゃなかろうか。
需要がふんだんにある間は生産技術の向上は善きことだったんだろうけど、なんかその時期を過ぎちゃったみたいだな。結局学校教育で教えられてきたことってのは、その産業の要請による、物を作り、売るということであって、それが崩壊しつゝあるってことなんじゃないかとも思うのである。
そう考えると、日本車が欧米に売れて貿易摩擦を生じ始めた'70年代というのが実は1つの転換点であって、あの時点では思いもつかなかったのだろうが、あのときに量から質への転換をすべきだったのかもしれない。それはともかく、重大な教育政策の間違いを起こしてしまったんじゃないかというのが1つ。それが高校全入だ。
それまで、高校に進学するのは今の大学へ進学するというぐらいの割合だったようで、しかもちょっと前ぐらいには成績の良い生徒は工業高校のほうが企業への就職も良いからと人気が高かった時代もある。すなわち、進路における複線化が存在した時代だ。いわゆる学校の勉強が必要ない人間は高校に行かず、親の仕事を継いだりしていたわけだ。
で、そういうのをブチこわしたのが十五の春を泣かすなといった、高校全入化なのかなと。ロクに目的もないのに普通科高校に行き、そこで試験の点数の良い生徒は大学に進学して大企業に就職するという流れができる。試験の点数の悪い生徒はグレてしまうわけで、それで'70年代には校内暴力が社会問題となっていた。それでも高校卒業資格がないと「高校にいけなかったバカ」というレッテルが貼られることになり、いやいや高校に“所属”することになる。結果、今となっては半分ぐらいの学校は行き場のない若者の収容所になってしまったわけで、しかもしかたがなく高校に進学した生徒というのは得てして教育を学力が与えられるべきものというサーヴィスと考えていてしまっている。今更やる気のない層を放り出すわけにもいかず、さりとてやる気がないから知識もつかずで、卒業したところで学校的知識を要求するような職場では使い物にならないという上記エントリーの結果になっているんだろう。
高校全入化なんてされておらず、個人の進路の複線化が維持されておれば今のような状況がなかったわけでもないとは思うんだが、それでもさも高校に行かない奴は奇特な奴なんだというレッテル貼りが結果的に行われてしまったことや、中卒以降の高校入学以外のキャリアパスをほとんど絶滅に近いまで追い込んだ、この高校全入というシステムの罪は実は重いんじゃないかという気がするのである。
いやね、高校に全員が進学して、そこで全員が想定された学力を得て、全員が大学で優秀な成績を修めたとしてだよ、その全員を社会のすべてにどう配置するかなんだよな。自分はゆとり教育については反対の立場なんだが、できんものはできんまゝで結構、できんものはせめて実直な態度を持てといった三浦朱門の言ったことってのは、そりゃもちろんバカは特権階級の言うことを唯々諾々として聞けという意味では許せない態度なんだけど、学校の勉強ができる人間ばかり揃えたって社会は成り立たないから、学校的価値観を持たない層が居てもいゝといった意味では、進路の複線化としてそう間違ってもいなかったかもしれないのだ。
なんつーか、知識重視の、まぁ知識を積み重ねて仕事をする人間の感覚では信じられないような行動でも、別に経験重視の仕事をする感覚でいえば正しいってことも多々あるわけで、そういうもの同士の線引きがきちんとできていないんじゃないかね?。経験重視の仕事をするんだったら、むしろ学校の知識が邪魔だったりする職業もあるだろうし、そういうものゝ価値観を知識重視の基準で貶めるってのもヘンな話である。今だって政治屋とか官僚はそれこそ名のある大学を出た連中が多いと思うんだが、ちっとも国をうまく運営できてないだろ。
まぁ今の問題点としては知識重視の領域で知識のない人間が権利を振りかざして起こっているものが多いんだけど、知識重視の領域で、知識があるとされている人間がうまくやれてもいないわけで、(いや、知識があるふりをしてその実知識がなく欲深い人間がシステムを作ったり運用したりしているということはかなり多いんだけど)革命とはいわないまでも、全部壊して初めっからやりなおすぐらいの覚悟は要るんじゃないかね?と思ったりする。