たまゆら〜hitotose〜 第5話

 一時間待つのなんて、それほどたいしたこと無いと思ってしまうのだが。
 が、竹原-忠海って10km無いんだな。そりゃ車やバイクだと往復30分かゝらないわけだ。
 いやいや、なんつーか、OPでスイッチが入って、ぽってが駅で友人を立って待っているシーンで泣いちゃうんだな。ツーリングクラブ*1の人ではないが、涙もろくなってるんだろうな。そういや第1話だとかOVAを視聴してた頃はわざとらしさとかあざとさが気になってたんだけど、もうそういうのは通り過ぎた模様。冷静さを欠く自分もなんだかなぁとは思うんだけど、こうやって好意的に物語に浸るってのも悪くないとも思ってしまう。
 お好み焼きをヘラで食すのもなんだか懐かしい。広島に住んでいた頃だけじゃなくて、種を自分でかき混ぜて焼く形式の店だと大抵そうやるので、めっきり外食が減った今となってはなんだか懐かしい気分になる。観光は基本的に徒歩というのもわかるんだよね。忠海まで徒歩というのはちょっとやりすぎの感は否めないが、歩くからこそわかる雰囲気というか実感ってのがあって、それは外部動力を使う乗り物だけじゃなくて、自転車なんかでも味わえないものなんだよな。どうしても乗り物を使うと到着が目的になってしまって、過程を味わうことが困難になる。
 気になったのが、友達作りの困難さが前面に押し出されていたこと。この作品自体が町興しってのがテーマになっており、それは地方主観って側面が大きいのだけれども、ターゲット層を思い浮かべると、対象は都市部在住の中高生(というよりは大人向けって感じが今となってはするのだけれども)だとすると、都市部の中高生って友達作りが問題になっているのかねぇ?と思いを到らせてしまった。いじめなんて度を越した同調圧力であって、いわば反社会的な“政治”でしかないんだが、そういうのは得てして意図的にせよそうでないにせよ、未熟な子供が振り回すことが多かったりする。人は人、自分は自分となかなか割り切れない子供だと、仲良しイデオロギーに逆らえなければしんどいだろうねぇ。ましてや誰かのグループに属しないことは、それ以外のグループを排除することであり、またそれは自分を捨てることを意味するわけで、そういうのが本能的にわかる繊細な子供ほど*2自分を追い詰めてしまうんだろうなと思ってしまう。田舎だとそういうのを気にしなくても近所に住んでいるというだけで勝手に人間関係ができてしまうというイメージがあるので、本作でかおちゃんグループがあたりまえのようにできているという見せ方からすると、対比と考えざるを得ない。都市部ではそんなに深刻化しているのかとビックリしてしまったが、杞憂なのかな。

*1:アメリカンなバイクであの排気音はネェだろ!

*2:いや、なるほどぽってやちひろは繊細な子供という設定ではある。