だがしかし 第2話

 後継者問題とかも含んでいるのか?。
 正直本業としての駄菓子屋をのみでやるのは生活にならんような気がするが。今だとそれほど小学生がこずかいを駄菓子につぎ込むって像が浮かばない。消費行動の多様化というのかなんというのか、一度ファミコンブームが起きて、小学生の消費性向がゲームに向いたらガクンと売り上げが落ちたんじゃないだろうか?。その後カードゲームが流行ったときには、そういう小額消費が駄菓子にも目を向けさせるものになったのかもしれないが、いかんせんその辺駄菓子の追っかけをやってたわけではないのでわからない。自分が小学生の折には大抵小学校の校門前に文房具屋があって、そこで駄菓子コーナーも併設しているというイメーヂが強いが、実はそういう駄菓子屋は自分の経験からするとあまり実体験として見かけなかった。
 最近は少子化でともすれば自分が学齢期の半分ぐらいの児童数らしいし、かつかつでやっていたのなら児童が減ってやりにくいだろう。昔もあったと思うが、割と自分が学齢期を脱するタイミングで万引きをゲーム感覚でやるという風潮が聞こえ出しており、少子化で児童がおとなしくなったように思いはするが、とはいえ学校での児童による暴力の割合はあまり減ってないらしいし、万引きも沈静化したという話を聞かない。万引きや少子化に耐えうる駄菓子屋としての形態としては、もう店主がそれ以外に(例えば年金などの)収入を持っていて、採算度外視でやるぐらいしか思いつかない。報道で取り上げられるのを目にするにしても、年配向けのノスタルジー商売というか、観光目当てといったところで、このアニメも基本こういう駄菓子屋はファンタジーとしての存在であって、やはりターゲット層は年配だとも思うんだけど、原作の連載はサンデー誌上なんだよな?。となれば、まさかサンデーが年配向けにってことも考えにくいので、なんかそのへん理解がしづらい。しかもアニメ化されるということは、原作がある程度人気が出たということだろうし、本当に今ドキの学齢期の連中が駄菓子に興味を持っているのかというのは不思議なところ。小学生だったらともかく、中高生あたりは、大抵自動販売機でジュースを買うか、友達とのダベりはファストフード店とかファミレスだろうから、駄菓子の想定する顧客層ではないように思うがなぁ。想像できるのは、そういう中高生がかつて小学生であったときに買っていた駄菓子を通り過ぎた世代としてちょっと懐かしむ程度というのが自然だが、やはり今ドキの学齢期の連中がそれほど駄菓子を買っていたのかというのがどうしても引っかゝる。
 さて、今回は棒きな粉とフエラムネ、水に溶かして作るビールもどきにメンコがネタ。棒きな粉とビールもどきは知らなかった。フエラムネはいちおう食べた記憶はあるが、パッケージが見慣れないものだった。円筒状のものに入っていたような気がするが…。むしろラムネというより、あの形をして笛機能のついた飴は良く覚えてる。スーパーでも小袋が直列に繋がった形で棚の横につるしてあるイメーヂ。飽きると喰うというのは言いえて妙。
 めんこはどーなの?といった感じ。これこそ今ドキの子供が遊んでるのか?と疑問に思うぐらい。めんこはテクニックが要るから鍛錬を考えると今ドキの子供にとってハードルが高いんじゃね?。テクニックが要らないからカードバトルが流行ったんだろうし。が、なんだろうな?。歳取った今だからこそアレなんだが、電子機器由来のゲームと、体を動かして実感として勝負するゲームとホントどっちがより良いものなのか迷うな。正解としては別にどちらが高等とか低級だとか言えないってものなんだけど、身体能力と思考力を上手く統合させる遊びってのは確かに動物としての人間の能力を向上させるって感じだな。とはいえ、めんこなんて相手の札を裏返すか否かという単純な結果でしかないからそこに本当の高等なものが含まれているとはなかなか理解しづらい。かといってカードバトルや電子機器由来のゲームで勝つということに多様性は考えられてそれなりに(工夫されていれば)思考力を養うものではあるんだけど、果たしてそのゲームにおける「勝ち」ということにどれだけの意味があるのか?と言われると、空しさしか感じない。かといって、そういう電子機器だのといったゲームの価値観に慣れてしまうと、原始的な遊びに対してよっぽど嵌るということがなければ意味を見出しにくゝはなっちゃうんだよね。
 正直この作品はドラマ性に関していえば出来は決して良くないんだけど、なんつーか、逆に駄菓子や昔の遊びに意味づけを行ってそれをプッシュしてくるような構造にしてしまうと、その途端に説教臭くなってしまうんでむしろそういうのは積極的に排除するのが正しいんだろうな。そういった意味でこういうスタイルなのはある意味納得できるし、歳をとって今になって思うと…っつーことを考えていくと結構面白いものがありはする。それが長続きするかどうかは別として。