シャイニング・ハーツ 〜幸せのパン〜 第12話

 三人娘のお出迎えの末に待っているのはむさい男の歓迎の声。
 うーん、なかなか考えさせられる作品だった。もう既に総評になってしまったが、自分が懸念していたなんちゃって超技術も深入りしてなかったし、というよりすべてが解けかゝった謎かけになっていて、描写そのものはあくまで仮託された姿でしかない。本当のところはどうなのか今一自信がないのだが、やはりパン作りで幸せな社会を作り出すってのじゃなくて、パンはあくまで幸せな日常の象徴であり、日常を維持するためには?だとか、日常を乱すことがあったとき、どう行動すべきか?などゝいったことに対してのある種の提示なんだろう。
 ゲームが原作ということで、ターゲット層は中高生なんかな?と思っていたが、ちょうど子供向けアニメが、子供をターゲットにしながらも、その背後の両親にも何か伝わるような構造になっているわけなんだが、これはむしろその年齢層の幅を広げたものなんかな?と思わせるものがあった。悩めるリックが主人公だから、やはりメインターゲットは中高生なんだろうけど、じゃぁこの作品をゲームをプレイした中高生が視聴するか?といわれゝば、おそらくゲームで満足してアニメまでは手を広げないだろうし、ゲームをプレイしないような中高生がこの作品をそもそも視聴しようとするか?と言われゝば、これまた難しい。DVD商売としてみても、ゲームを持っているような中高生が敢えてアニメまで買うとも思われないし、じゃぁ中途半端なファンタジー世界という設定のこの作品を社会人・大学生がDVDまで買うか?と言われゝば、これまた難しいものを感じる。もっと年齢が低い層を考えると、悩める青年に共感を覚えるとも思えないし、かといって小さなお子ちゃま向けとしてはあまりにフックが少なすぎる。
 と考えると、昨今の「ターゲット層を絞ったマーケティング」の流行からすると、時代に逆行するような作品なんだよな。で、商売として下手くそという気はしても、じゃぁ自分がこの作品に抱く思いはむしろ好意的で、やはり全年齢層に訴えかけたいものがあるからこその企画なんだろうなと、その心意気を買いたい気分ではある。たゞ、年齢層を絞った作品作りをしないと売れないという時代と言われるからこそ、この「全員に見てもらいたい」作品なのにあまりにその機会が少ないような気はするねぇ。
 自分が思ったのは、すべての台詞に含意があり(今回のリックの発言ではないが)、キャラはこういう気持ちがあってこういう発言をしているんだなということが、かなりわかりやすくテキストゝして書かれていたように思う。自分にとってはわかり易すぎるぐらいの印象があったが、あからさますぎると興が冷めるし、わかりにくすぎると視聴者置いてけぼりなんで、このバランスはおそらく会議でかなり検討の末に完成されたものとして提示されていたんだなと思ってしまう。もちろん、それは声優の「間」を重視した演技に現れている。その伝えたいことにしても、各人が各人の事情にあてはめて考えることができ、決して硬直した主張をしているわけでもない。このテキストに対するこだわりには素直に賞賛を送るべきだと思ってしまう。
 評価は難しいねぇ。出来るだけ衆目に晒されたいのに、メディアの特性からいっても相手にされないハンデを負っている。だからといって宮崎アニメのようにするのも「違う」と思わざるを得ない。自分としてはこのアニメを見て「ゲームは一体どうなってるんだろう?」と気にはなった。が、そうだとしてもゲームは時間喰いなので、ゲームやるぐらいなら本の一冊二冊、映画の数本でも見るわってことになるので、概略を知りたいって程度なんだけど、そういう意味では販促に成功しているわけだし、とに絵や音楽の気合に入れ方に敬意を表しておもろ+としたい。