猫神やおよろず 第11話

 あ、ゑびす商店は、ゑ=A、び=Bで、A婆、B婆だからか。芸が細かい。
 ゑびすがAB'sなのか、ABCなのかちょっとわかりにくいが。しかも元社長@内藤玲と元社員@小西克幸が声アテやってんのな。出番が無いと思ったらこんなところに。もしかして今までもそういう登場の仕方だったりしたんだろうか。エンドロールで気付いたけど、あらかじめ断ってないと、フツーに女性声優を使ってるのかと思うわな。
 今回は天音自分を取り戻して天界へ帰ると繭天界で捕らわれの身になるの二本立て。まぁ間というかテンポの今一な本作ではあるんだけど、今回は最終回を控えて尺が足りないというのがわかるわな。で、慣れたせいか違和感はあるがストレスは全く感じない。
 駄菓子屋へ行く途中のコミュニケーションは天音に言われなくてもわらしべ長者を想起させるのだが、いやなんだろう?、このシーンの意図もわかるような気がした。特に元社長と元社員のコンビや、柚子が八百万堂を開業する際のエピソードで、あこぎな商売でカネ儲けに走る愚を説いていたゞけに、そうでないケースを示してくれているんだよなと思うのだ。結局繭は遙の賽銭を使わなかったように見えるのだが、まづ遙の心の内を見透かしてデコピンしたんだろうなと思わせるし、繭がぬいぐるみや柿を占有することにこだわらなかったところをみると、情けは人のためならず…というよりカネに頼らない社会について何か示唆していると考えざるをえない。そして繭が人と人との関係性を色々実演した末に、天音がなにかを掴んで自分を取り戻してく様が描かれており、なんとも密度の大きいAパートであったことよと感心に次ぐ感心をしていた。
 Bパートの最后で明かされるツクヨミとの見合い話もヘンに納得してしまった。なんか繭は男でも通用するキャラになってしまっていて、器が大きくなった彼女が似合いのカップルとして相手を見繕って貰うってのがなんともなんだわ。ホラ、政財界の我利我利亡者は自分の閨閥保全だけでモノを考えるだろ?。そうじゃなくて人の上に立つものたるもの、慈悲に満ちて判断を間違わないって条件が必要であるワケで、そういうのが天界から見ていて評価された?のだということなんだろう。
 いやぁ、某巨大掲示板で結構自転車版でいくつかのスレをチェックしていたのだが、この作品をうざいほどまでにプッシュするレスがあってウンザリしていた。で、たぶんゆるキャラが戯れてひたすら心地良い作品で、どっぷり浸っている視聴者なんだろうなとあきれてもいたのだが、いやいやなんの、視聴するのに油断がならない作品だった。結局次最終回という今の時点から振り返ってみても、どう考えても真剣方面の要素が強い。萌えアニメの体裁は崩しておらず、パステル調の色使い、ゆる〜い日常を背景にしているのにメリハリがついていて、気を許していると中途半端な視聴態度を打ち砕かれてしまう。視聴後感もそんなに悪くないし、次が楽しみであり、視聴前にもワクワク感を掻きたてられる作品になってしまった。