伝説の勇者の伝説 第5話

 なんかいろいろヌルユルい気がしてきた。
 フェリス・ライナーの勇者の遺物探索珍道中その1とシオンの国政奮闘記&貴族との対立という流れ。ライナー訪問先のネルファ王国で、王の庶子(孫)トアレと出会っているが、これ、シオンとの対比というか、メタ構造を指向しているのか?。よくわからん。まぁ今回は感想が長くなりそう。
 まずフェリスからか。色気よりは食い気というキャラ設定なんだが、ライナーに対する態度が冗談と思えないほど不快なものを持っている。フェリスというかエリス家自体がそもそも王に仕える貴族ということもあって、たぶん王を補佐することによって王制による庇護を最も受けている家柄と思われる。だから、エリス家の者は王以外と馴れ合うことを最も嫌うワケだ。仕える王が一番の力を持っていないと、エリス家にとっては意味がない。また王以外のものと馴れ合って王との距離が離れてしまっても意味がない。だから、仮にライナーが強大な力を持ち、庶民でありながら王としての器を持っていたとしても、血筋という社会的文脈をもっていないというただ一点のみでフェリスはライナーと馴れ合うわけにはいかない。そういった意味でフェリスのライナーに対する態度には一貫性があって納得は出来るんだが、ちょっとやりすぎといった感はある。仮にも王命を受けた特使なワケであって、彼のもたらす成果はシオンの王権を強化するもの。へりくだらなくとももうちょっと考えた所作が望まれると思うがな。見ていて笑みがこぼれるようなかけあいでもないし。
 ルシルもよくわからんな。シオンの部下が殺されるということは、それはシオンがナめられているということなのだが、確かに実力が伴わないまゝ報復ってのはさらにナめられる元になるわけで、その時期が来るまで我慢すべきってのはそうだろう。が、シオンを王に就けるために暗殺をしたと思われるから、元々シオンに実力があって王につけたというわけでもないんだろう。フェリスがライナーを、ルシルがシオンを試しているにしろ、一旦動き出した事態をあまりにも放置しすぎていて試練とはちょっと違うような印象を受けた。
 しかし、トアレに仕えるガイネルじいさんってのもアレだな。王家に仕えるから自分も偉いみたいな雰囲気が漂ってていけすかねぇな。美人は何を着ても似合うという言説の場面でフェリスに味方したのも彼女に漂う貴族の風体を感じとったからと思われる。トアレを助けたライナーに厳しくあたるのもちょっと考えモノだし、ガイネルにライナーが賢いと見えなくとも、トアレにつく味方が多ければトアレにとってプラスになると考えるべきところなのだが、そういう風にも見えない。というか、トアレが有望って見られてるんなら、なぜ町のチンピラに絡まれるんだ?。
 で、シオンの野望が新登場のミランによってほのめかされる。どうもシオンは自分の国の領土を増やしたいらしい。国内の貴族にナめられるぐらいだから、外征でポイントを稼いで貴族を押さえつける一助にするって事は十分に考えられるのだが、相手の貴族には暗殺されに行ってくれと言われているぐらいだからなぁ。しかし、シオンって、冒頭の仕事の台詞だと、倒すべき貴族の領地開発に取り掛かっていたけど大丈夫か?。どうせ後から奪うものだから、貴族にカネを使わせて当座の貴族の力を削ぐ&後々の自分の力の充実ってことだったらわかるけど、これだけじゃぁ判断できないな。そういやこの国の貴族ってどうやって食ってるんだろ?。西欧・日本の封建制によく似た封土制なのか、それとも土地は与えない官僚制なのか。前者のようなんだけど、そうなるとシオンってどうやって勢力の基盤を充実させるんだろ。貴族からのアガリを待つのか、直轄領をもっているのか?。
 さて、ミランは判断が難しい。銀英伝のオーベルシュタインみたく、影の部分を受け持つ有能な部下になるのか、それともシオンの寝首を掻く間者なのかよくわからんな。OPだとあまりシオン側ともとれないんだけど。なんとも。
 まぁフツーに眺めている分には、物語のフォーマットに従っているから不自然でもないんだけど、ちょっと踏み込んで見渡してみるとクレヴァーな人々の深謀遠慮による構成というよりは、差別主義者がわんさかで戸惑う。どうもシオンよりはライナーのほうが王の器足り得るって提示はなされてたみたいだけど、ライナーに意志がないのと後ろ盾がなさ過ぎるのでどうもな。血筋からいうとライナーにその目はないんだが、いちおうライナーに関する貴種流離譚にはなっているわな。ローランドが日本のメタファーになっているのはそうなんだけれど、政治的実権を持っていない天皇*1のメタファーがシオンなわけないし、かといってシオンってのは日本でいう何にあたるのかゞちょっと見当たんない。たしかにオリエンタル・デスポティズムや、日本権力構造の謎で言及されていた通り、絶対的権力ってのは日本には存在しない形になっているから、概念でいう王を想像できても、実際にリーダーシップを発揮する存在は「少なくとも」近代以降の日本人にはピンとこないかもしんないな。

*1:臣下の体をとっているが、むしろエリス家が皇族のメタファーなんだろうけど。