ストライクウィッチーズ2 総感

 なんといっても、この作品のテーマは職場のあり方に尽きると思う。初めのほうはオタ向けに露骨に媚びてんなぁとか思っていたんだけど、途中でそれに気付いて以来、まったくこの作品に向ける目が違ってきた。今検索かけたらどうも自分は半分ぐらいのところで気付いたっぽい。これ、軍隊という組織として、軍規違反バリバリなんだけど、それってどーなの?というサイトさんが多かったわけなんだが、いやいやそうじゃなくって、501のような部隊こそ、理想の組織なんだよってワケだ。
 結構何度も触れているのだが、ブラックホークダウンに見られる現代の軍隊では、現場の方が状況判断においても勝っており、軍の中枢部というのは、いやもちろん戦略分野ではさすがに違うとは思うんだけど、前線のバックアップって要素が大きくなっている。上意下達型ではやってけないという時代なのだ。昔だったら戦争は数がモノをいう時代であって、それで徴兵制ってのが布かれてたワケだ。そうなると、兵隊の大部分は素人なわけで、そういった組織では末端は戦闘のスキルが稚拙なだけにとても個々に判断を委ねるわけにはいかない。あくまで基礎的な技術は身につけておく必要があるが、基本的に戦闘の熟練者のいうことを忠実に実行することが優先される。つまり、上の判断の方が正しいんだから、下のものは余計なことを考えず、言われたことを忠実に実行しろとなる。そういう組織では末端は判断力がないわけだから、勝手な行動はむしろ組織の崩壊に繋がる。上意下達はそういう組織では正しい行動規範だ。が、現代は違う。近代兵器も複雑化し、たんに鉄砲の引き金を引くだけ、せいぜい銃の手入れができて全力で走れゝばオッケーという時代ではない。歩兵ですら連携プレーができなくてはならず、それは基礎体力の上にスキルと熟練が要される。はっきりいって2年の徴兵期間のうちの数ヶ月の研修程度でヴェテランと同じ任務がこなせるほど甘くはないのだ。むしろ足手まとい?。
 で、特に情勢の変化の激しいところだと現場の情報や判断が重要になってくるわけで、しかもその現場を担当しているのはエキスパートである。そりゃ現場に裁量を与えるメリットは十分にある。というか、出世街道をひた向きに走ってきたようなエリート、日本の官僚でいうところのキャリアってんの?、それも現場を十分に経験しないで、与えられたポストを前例主義や切り抜けるだけの才覚で抜けてきたようなのに、上層部として現場に勝る状況把握や判断ができるとでもいうのか?。現場をある程度熟知していないと、理屈では実現の可能性が検討されうるけれども、現場で実際にやってみるととても不可能であるという、そんな想像力が著しく欠けるだろと思うんだが。いや、本当に優れた人間はそこまでイメージして現場顔負けの判断をするのもいるんだろうけどね。そういうのは絶対数が少ないだろ。現場を知っているだけに無茶な企画は立てないだろうし、そうなるとプレゼンで見劣りがするだろうから、見かけだけは立派で失敗した時の責任は全部他人に押し付けるような世渡りのうまい連中に比べれば、芽は出ないだろうしな。まぁ合衆国の軍隊の強い理由はそういう現場主義が尊重されているからなんだろう。部隊が全世界的に展開しているから、経験なんてどこでもできるだろうし、なにせ生きるか死ぬかの世界だろうから成果に対する評価も結果がすべてを物語るだろうからごまかしの入る余地が少ないだろうしな。先の大戦で旧日本陸海軍でも、被差別部落の出身者は軍以外の仕事よりはよっぽど正当に評価されていたらしい。それは結果がすべての世界だからってのは十分に考えられることだ。まぁ501なんて各国のエリートの寄せ集めで、そんな中理不尽で実効性のない命令を上意下達型で押し付けても、そりゃまったく価値は無いわな。
 Hidden Valueでも述べたとおり、そういうエキスパートに裁量を与え、管理職はむしろサポートに回るべきってのはこの作品でも十分に示されていた。で、ウィッチ達が互いに足を引っ張りあうのではなく、互いに気を遣いあって任務をこなしていた。各人それぞれに戦争に参加することで成し遂げたい「思い」があり、それをバカにするような描写は無かったと思う。ツンデレのペリ犬も祖国の復興を願っており、中には動機が不明なキャラもいるにはいるが、大抵各人思いを持っている。501部隊はその構成員の思いを実現する組織なのだ。501を作って、構成員に報酬をちらつかせて何か特定の個人の欲望に奉仕させるといったモノではない。再結成の経緯が省略されていたが、各人各国の禄を食む身ではあるものゝ、いやもっさんと宮藤は例外だと思うんだが、まさに語義通りのヴォランティアすなわち義勇軍に近い性質を持っている。だからミーナも押し付けがましくは無いし、ウィッチ達も自分たちの思いを実現する組織として主体的にかゝわっている。
 で、今シリーズは上層部もまともな大人っぷりで、ある意味うらやましかった。前シリーズはそうでもなかったろ?。マルセイユの回で上層部の描写があって、それが先の大戦の枢軸国側であって、またそれがまともな判断なのでこゝは笑うところなのか?と訝しがるぐらいであったのだが、少なくとも描写はされなくとも主戦力が存在し、それがやるべき仕事はどうもやっていて、それで特にウイッチーズに過度の負担を強いているわけでもなさそうなのに泣。ミーナが上層部と喧嘩していたなんて口走っていたが、どんなことで争っていたのだろう?とちょっと興味が湧く。とにかく、上層部が前シリーズのように理解の無いところだと、501としても内輪で喧嘩して全然本来の敵と戦うといった意味では全く価値の無いモノになってしまうのであり、それがひいては全体の利益にも繋がらないどころか損失にすらなってしまうのにくらべて、今回は各戦いの蓄積がある程度成果に繋がる流れになっていて、納得できるようなものに仕上がっていたと思う。とにかく、ロマーニャが解放されたのも、大局において上層部がまともであったためであるらしいことは示されていたと思う。
 で、ミリオタへの媚びかとも思ったのだが、作画的にもあんまり象徴的な武器礼讃ってのも感じ無かったかな。最終シーンで、もっさんの烈風丸にせよ、ストライカーユニットにせよ、大和にせよ、残骸という扱いになっており、戦いの折には必要なんだけども、必要なければ即座に放棄って描写には抑制が感じられた。飛行シーンも、そりゃ全然デフォルメが無いとは言わないんだけど、板野サーカスとまで呼ばれた激しい機動は無かった。あくまで現用の航空機があたかも空を曲芸飛行している態であって、なんともリアリティを重視しているかのような抑制が自分には嬉しかった。この作品は空を飛ぶのに鳥のようではなく、あくまで飛行機にこだわっており、あたかも自分が飛行機に「なったら」このように飛んでみたいなと思わせるものであった。
 音楽も物語を邪魔することなく十分に魅力的なものになっており、EDのvo.もハーモニーにこだわった意欲的なモノだった。
 惜しむらくはやはりエロコスと過度な萌えというより媚び描写なのだが、これはまぁ別に自分が男であるということを考えれば別に非難することでもないんだわ。ただ、この作品はそういう部分がなければ、かなり女の視聴者も獲得できるんじゃ?と思ったまでのこと。男臭い描写もあるんだけど、情緒的に女に受け入れ難いところがあるかもしれんのだが、理想の職場といったテーマでは割と女にも訴求力があるんじゃないかと思いついたのだ。水戸黄門を見て老人達が自分たちが過去職場で経験したことを想起うるように、この作品もやり方によっては、性別・年齢層問わずに訴えることができる可能性を十分に秘めていると考えたのだ。というわけで、万人にオスヽメできないといった点ではどうしても名作以上をつけられないのがとても辛いところ。前半どうしてもスタッフによる媚びと自己満足の疑いが晴れなかったせいで好印象を持ち得なかったんだけども、後半に入って、前半も含めてがらっと見方の変わった作品でした。大絶賛に近いぐらいの評価。おもろ+。