ガッチャマンクラウズ 第11話

 総集編ってなんの冗談なんだか。
 Aパートが総集編、Bパートから前回の続き。いちおうガッチャマン側は人々を繋ぐことに注力し、カッツェ側は人々の欲望に訴えかけるという対立軸。カッツェは見かけ上人々を分断化しているわけではないんだけど、ガッチャマン側が人々の有機的なつながりを意識しているのに対し、カッツェ側は暴走する欲望をコントロールするよう意識しているように見える。うーん、なんだか正義のクラウズって、一億総活躍にみごとに対応していて戦慄する。一億=クラウズだし、そこには輝くという美辞のもと、人々を労働力として己のために使役するってのが見えていて、この作品なんて一億艘活躍の言葉の前に出来ていたはずなのに、驚くばかりである。
 ガッチャマン側の人々の繋ぎ方はちょっと凝っていて、総理大臣の命令一下という上意下達でもなく、むしろ総理大臣は動かされる立場。情報のセンターであるところのXが命令を下すってのとも違っていて、Xは情報の提供をするのが主な役割だし、縦のつながりというよりは横のつながり。かといって各々が勝手な判断をしているってのとも違う。この描写で表現されているコミュニケーションが唯一優れているとか、このように動けばうまくいくってわけでもないんだろうけど、概念としての一つの形を「結果」で現しているというか。単なる理性と感情の二項対立ではないし、むしろガッチャマン側もカッツェ側にも両方理性と感情の両側面があって、じゃぁどこがどう違うのかってのが一言では表せないというか、説明するのがめんどくさいのでやめておくが、まぁそのへんひっくるめてテキストスタッフはよく考えてはいるわなとは思う。
 続編があるってのだけはわかっているんだけど、Aパートではじめは本当はすごいやつという見せ方をしてきたからには、前期の残りでそれなりに活躍させて一時的に退場させるんかなと思わなくもない。他のガッチャマンに「はじめはヘンなやつだと思っていた」と言わせているのは視聴者の気持ちを代弁させているというわけで、持ち上げて退場させて、「じゃぁはじめが退場した時には、判断を自主的に行ってどのように動くべきか」というのを考えさせるんかなという。まぁ大抵こういう長尺モノの中盤にありがちな鬱展開というヤツですよ。いやまぁそういう展開じゃなくて、またはじめが周囲を振り回しているように見せかけながら全体がダイナミックに変化するって展開かもしれないんだけど。