蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- 第12話

 コンゴウの救済でEND。あと合衆国艦の霧艦隊は要らんかったろ。
 自分的にはやはりアニメ版は第10話で終わってたっぽい。ラスト2話は調整といった印象。いちおう最后で群像のやりたかったことが語られたが、なんか壮大なものではなくって、冷静に戦況に対応していた描写からはちょっと肩透かしなものを味わった。意志とは突き詰めると「衝動」のように聞こえたが、どうなんだろ?。個人の意志とか現実を変える力になり得るのか?、なり得るとしてそれでいゝのかといった問題があって、そこらへん中盤までのイオナの迷っている態度というものが実は世界に誠実に対応する態度なんじゃないかというのを思い浮かべながら視聴してた。霧の艦隊の上部組織というか、全体を統括する組織があるんだったらやはりそのへんの様子が知りたいし、新型弾頭を合衆国に届けて量産したところで、力対力のぶつかり合いでしかなく、群像たちの目指す世界とは方向性が違うんじゃないかとも思ってもいた。まぁなんにせよ、いろいろ変化する世界でいろいろ模索していく姿ってのは確かに現実世界もそうなんだろうなと。
 まぁ大体自分はこの作品の総括というか全体像を振り返ってみると、やはり上意下達型の行き詰まりから、横に繋がっていくべきというメッセージに貫かれているように感じた。まぁ現実の日本も合衆国も最后のコンゴウのように周囲を命令規則で縛って既得権益層の利権を頑なに守り、その結果社会全体が機能不全に陥っているという現状を見るとさもありなんといったところだ。その横に繋がるという状態を端的に示したのが「トモダチ」なんだろうね。そういった意味で、そういうテーマに即した作品作りは自分的には最後までいろいろ考えさせられるものだった。まぁいっちゃぁなんだが、軍艦関係ない?といったところ。たゞ軍艦というのは一隻動かすのに乗組員が統合されていなければならず、また一つの艦が豊かな個性を持つといったところで、それが一人の人間もしくは特色ある組織のメタファーというよりそのものを示しており、乗組員の総意もしくは統合の結果としての特色がメンタルモデルといった人格で表されているというのも面白かった。
 まぁそんなわけで、物語の形式としては目新しいものはないと繰り返してきたが、たゞこれから起こる新しい世界の変化に、新しい対応の指針を示したってとこで、そのへんアクションだのキャラ性だのに頼らない問いかけってのがふんだんに散りばめられていて目の離せない作品であった。おもろ+。