Hidden Value まとめ続き

 前回は、社員を厚遇してもなぜサボらずに熱心に働くのか、それは雇用の時に厳しい選別を実はしていることによるんじゃないかということを述べた。今回はなぜ裁量を従業員に与えても好業績を上げることができるのかという点について触れたい。
 それはなにより経営層より現場が一番仕事を知っているからだということに尽きるんじゃないだろうか。いや、本書で取り上げられている企業は経営層が創業者やその仲間である場合が多く、彼らは生涯現役を志していることもあるので、経験の深さはとてつもなくあるだろう。が、その経験深く、創業時の困難を切り抜けてきた彼らが、何より現場に最大限の裁量を与えているのだ。
 自分も年齢的には中堅の部類にはいると思うのだが、実際仕事をしていると若手の方が仕事に対する嗅覚が鋭いなと感じることが多くなった。いやもちろん自分も経験がないとも言わないので、若手の嗅覚がいくら鋭いといっても、やれ仕事の流儀は今一だなと感じることもある。が、正直自分なんかより(というか自分がその年齢だったときのことを思い出しても)よっぽどできる若手も現にいる。で、自分が歳をとってみると、やはり物覚えは悪くなっているし、新しい状況に戸惑うことも多くなってくる。歳を取った分他人とのコミュニケーションで機微を読み取るというか、実際に相手の意図を掴むことができるようになったかなとも思うし、割と人を見る目が外れなくなっても来ているので、そうそう歳をとって劣るばかりでもないとは思っているのだが、自分のことだから買い被り過ぎかね?。でもまぁ単位時間にこなす仕事の量は確実に減ったし、新しい情報への柔軟性は無くなりつゝあるなという自覚はある。経験から手順を簡略化したり効率化できたりするけど、やはり処理できる量は減る。新しい情報も、抽象化や概念化で大雑把に捉えることもできるし、過去の経験から色々敷衍することもできるけど、呑み込みは確実に悪くなっている。そうなると、特に変化の激しい分野では自分ですら賢い若手のほうが仕事ができるだろうなと思ってしまう。
 あちらでも大企業病にかゝっているところは、やはり同じだと思うのだが、今の日本の企業が上層部がふんぞり返って威張り散らし、じゃぁ偉そうなことを言うからその通りにやってみると職場が荒れるだけになっているというのは、そもそも彼ら自身が劣っていることを認めないからでもあり、いや実は彼らこそ仕事ができないからだとも思える。
 一般性は無いとは思うんだが、例えば今の50代の管理職なんて、例えば若手のときは高度経済成長期を終え、まさに日本の産業が良い軌道に乗った時期だろう。だから、彼らは軌道に乗るまでに現場が試行錯誤をして、それこそ大失敗したんだけど、その失敗を修正して成功に導いていった経験がそもそもない。そういうことを考えると、60代だってそうだ。60代後半の長老に近いのだって、就職時は高度経済成長期ぐらいかその後かぐらいだ。日本製品の信頼性が確立した後に就職したことになる。だから、今の経営層ってのは、ドンドン作ればそれだけ売れたという経験“しか”ない。営業だって、件数を稼げば内容の是非を問わず受注できたという経験“しか”ない。合衆国でいえば、インディアンを追い出せばそれだけ土地がタヾで手に入った開拓時代、ロシアでいえばシベリアを探検すればそれだけ領土がタヾで手に入った時代の感覚なのだ。国境を隔てて交渉しなければならなくなった時に、彼らの仕事のやり方はまったく役に立たない。で、その感覚を若手に押し付けるのだ。
 で、さらに酷いのが40代だ。バブル世代と呼ばれるワケだが、とにかく、取引先をどう接待するかで営業成績が決まったから、そもそも顧客が何を求めているのか、どういう仕事をしなければならないのかゞまったく的外れの人間がいる。広告で視聴者を騙くらかして売り逃げればいゝって人間もいるワケだ。土地を右から左に流すだけ、カネを右から左に動かすだけで儲かった時代だからタチが悪い。そして、そういうやりかたから入った40代だけでなく、50代、60代もそういうやりかたで甘い汁を吸っている人間が沢山いたわけで、そのときの人間関係で上層部に居座っているのも沢山いる。モンペ・ゆとり世代である20代前半はともかく、20代後半とか30代は就職にも仕事のやり方にも苦労をしているので、生き残っている人間はそつがないのが多い印象を受ける。
 まぁあまり世代の特徴を述べても、やはり年配の方でもバブルを冷めた目で流し、こつこつと実績を積み上げてきた人もいるし、若手でもやはりバカは一定数いるわけで、一般化してもなぁという気がしないでもない。が、管理職は別だ。自分の職場での実感からすると、かなり外れが多い。それというのも、そもそも仕事のやり方がわからず、それでいて強欲だから、他人の足を引っ張ったり成果を横取りしたり、それこそバブル時代の悪癖、媚びへつらいで出世して、その感覚で現場に命令しているのだ。自分の感覚が衰えるということを認められないから、いつまでも自分が正しく経験があると思っているし、そういうノリで現場に指示するから職場が混乱する。現場はそういうクズ管理職の命令に付き合えば業績が悪化するのは分かっているんだけど、従わないと酷い時にはクビになるわけで、管理職の命令を尻拭い込みでやってしまうことになる。その尻拭いで現場の裁量とやらが無駄遣いされてしまうワケだ。そしてじわじわと業績が悪くなり、前線の従業員も限界に達するし、職場環境というか経営も悪化する。それでも仕事の分からない管理職は“命令”で何とかなると思っている。その命令の源泉が、とうの昔に廃れた汎用性のない薄っぺらい過去の成功体験や、時代の仇花的なふざけた営業慣行だったりするわけだ。これで業績が悪化しないわけがない。むしろ破綻しないのは現場の従業員がバッファとなって耐え忍んでいるからなのだが、上層部は自分が正しいとしか思ってない*1からデスマーチは続いていく。
 とまぁ毒々しい文が続いたが、とにかく創業時の苦労、企業が安定するまでの試行錯誤を体験していない、もしくは体験しないまでもそれらを学習しようとしてこなかった人間が上層部に居座ることで企業の業績は悪化してきたといってよい。トヨタでも奥田元経団連会長が、部品の耐久度をギリギリまで削ってコストダウンしたと聞いているが、それが慣行化し故障が多発、リコールが頻発しても電通というかテレビや新聞に広告費を大奮発して黙らせるという方法をとってきたことは周知の事実だったりする。そういう人間が、長年上層部に居座り、現場は使い捨てだと言ってきたワケだ。
 裁量云々の話ではあったが、結局は現場での試行錯誤が基になっているのなら、それを邪魔する行為はすべて業績悪化の原因といってよい。そして、本書の企業は従業員が裁量で失敗しても誠意ある仕事っぷりだったら見守る態度に出ている。そもそも選別で企業に愛着を持った社員が揃っており、失敗しても挽回の機会を与えてくれるワケだから、埋め合わせはするようになるんじゃね?。
 で、これも結局は日本企業のクズ管理職につながっていく話なんだが、社員の裁量に任せれば、下世話な話、上司は道義的に責任を負わなくてよい。もちろん監督責任ってのはつきまとうのだが、本書の企業だとそもそも誠意ある失敗は減点対象としないのだ。買収先の監視カメラを率先してぶち壊したPSSの社員のように、むしろ社員のやる気を引き出す行為は大いに褒められることなのだろう。そして、反対に社員のやることに余計な口出しをして、事業を失敗させようもんなら、道義的には当然「余計な口出しをしたヤツは誰だ!」ということになるだろう。日本企業のまったくクズな面は、仕事を知らない管理職が出世か保身のためか、現場に余計な口出しをして職場を混乱させ、アゲクの果てにその責任を現場だけに負わせて自分はトンズラ、もしくは現場に責任を負わせ懲罰を与えた自分は偉いとばかりに出世したりするわけだから手におえない。犯罪者がのし上がり、まともな仕事をした現場は崩壊するのだ。
 スキマを埋めておくと、じゃぁ管理職が口出しをし、そのせいか、そのせいでないかはわからないが、業績が上がらないもしくは悪化したとき、いや、上がってもいい。そして管理職が現場を特に労いもしないが(してもよいのだが)、罰しもしないというとき、どうなるのだろうか?。もちろん管理職が謙虚に反省してというのでもいゝし、業績悪化の責任を問われることを恐れて口を閉ざした場合でのどちらでもいゝ。その場合でも、結局現場は「管理職の言う通りやったんだから自分に責任はない」という流れになりかねない。そこには仕事に対する緊張感は無くなってしまう。もちろん現場が管理職に自発的に報告なり質問をして、それに対して管理職が見解を述べるんだったら構わない。逆に管理職がまさに現状把握や理解のために質問なりをするのもいゝ。が、まさに管理職が自分の意見をゴリ押しする決済をしてしまったら、現場は管理職の気に入るようなやり方しか選択の幅が持てないことになる。そして現場が心情的に管理職のせいにするようになる。それはすなわち、従業員のもつ潜在力(Hidden Value)を引き出すことにはならないのだ。
 というわけで、管理職、もしくは経営層が命令するのは、どっちみちやらないほうがいゝということになる。もちろん、経営層は会社が運命共同体ならその維持継続の最終責任者であるので、いくら現場のいう通りにしろと言っても、その提案が自滅行為なら止めなきゃならない。でも、「言ったものが責任をとる」という原則は揺るがない。口を出したのなら、その責任はキッチリとる。それが出来ない会社が日本では多いから、構造的不況になっているんだろう。要するに、ダメな会社はコミュニケーション不足なんでねぇの?、上司側の。

*1:間違っていると分かっていても、出世のために自覚して現場に無茶を押し付ける。