Hidden Value まだ続くよ

 前回は研修の是非について述べてみた。入社時の研修を除いて、あまり研修の必要性はないんじゃないかというのを私見を中心に述べたのだが、後から考えてみると、研修なんて企業内でメムバーが繋がっているんだよというのを確認させる儀式なんだなというのがわかってきた。本書のどっかの企業も研修をすることによって、会社は社員を大切に扱っているんだよというメッセージを投げかけているんだとも書いてあったしな。
 で、今回は管理職というかリーダーの役割を考えてみたい。というかそんなに大した事はない。社員を大切に扱い、部下に裁量を与え、極力ストレスを与えないと、どの企業も言っている。NUMMIの日本人社長ですらそう言っていたのだ。ブラック企業のはびこる昨今では、そういう企業が存在すること自体考え難いが、それでうまくいく企業があるというのが本書の根幹である。日本などは割と終身雇用制度が続いてきたせいか、解雇だのという圧力が一気にかゝるという事態はあまり見ない。が、あちらではボスの一言ですぐ職場を引き払わねばならないというのをよく目にする。あちらといわないまでも、日本にある外資企業も30分で荷物をまとめて出てけなんてのをネットで見聞きする。
 普通リーダーとか聞くと、進むべき道筋を示して、ぐいぐい部下を引っ張っていくというイメージが湧く。が本書だとそういう管理職がほとんど存在しないように見える。そもそも現場自体が裁量を持たされて、自分で考えて道筋を知っているわけだ。選別の段階で理念を十分に説明され、共感して入社しているワケだから道筋なんてわかっていると見てよい。で、主体的に行動する社員に対してストレスを与えるのは逆に生産性を下げると見ているのだ。これは裁量に言及したところでも述べたとおり。言った者の責任問題に繋がっていく。ダメ企業・ダメ管理職は圧力をかけてその結果責任をとらないから組織が腐っていくというのも述べたとおり。社員も仕事に対しての責任・情熱を失っていく。
 そして本書の企業の多数が、管理職になるためにはプラスアルファの研修を必須としている。やはりこういう企業でのリーダーのあり方に誤解がないよう、念を押すのだろう。現場で実務を担当しながら、管理業務も行うところが多い。で、実務と管理はわりと仕事の指向が別だったりする。切り替えのための準備のためという側面が研修にはあるのだと思うが、そこらへんは記述もほとんどないな。
 でも考えてみると面白いな。自分なんかは本書の「上司は部下のサポート役」って点に大いに共感するのだ。だいたい実務をこなしていて、それを実感する場面が多い。で、自分の職場でも、まず現場経験者が出世して管理職になっていくというシステムなんだが、そいつも実務を担当している時にはきっと管理職にサポートして欲しかったはずなのに、管理職に初めてなって3ヶ月もすると、抑圧型に変わっていく。もちろん管理職になる前から、実体を見据えもせず空虚な理想論を振りかざして、現場を振り回しているような態度の人間もいて、いやはやあぁいうのを管理職にしちゃうんだぁ、上層部はとあきれることも多い。で、その管理職の抑圧ってのは漏れなく現場の背中を撃つことになり、職場同士で同士討ちになり、それは即ち顧客や取引先が付け入る隙になってしまうわけで、それで職場がゴタゴタするのだが、それで管理職が責任を負うことも無くむしろ意味の無い書類を積み上げて淡々と出世していく。それならいっそのこと管理職なんてむしろ寝ていてくれたほうがよっぽど仕事になるわけなんだが、なんだかなぁ。
 まぁ結局、現場の裁量・権限が渡され、それで実務が行われているのであれば、管理職なんてのは大局観で見守り、漏れを防いだり保険をかけたりするだけで粛々と仕事は処理されていく。管理職がよけいな口出しをすれば、それは即ち最低でも時間の浪費にしかならず、部下がトンチンカンな上司の指示の尻拭いをすればするほど仕事のパフォーマンスが落ちていく。ましてや特に日本においては過去の仕事慣行はことごとく使えなくなっており、それをベースに行われる管理職の指示は時代遅れであることが多い。
 が、こゝで使えない管理職を一つ擁護しておくと、やはり仕方がないのだ。バブル時のトンデモない仕事慣行、その後、人を切り捨てることによってしか成果があげられなかったし、実際にそれで利益が増大してしまったから、まともな仕事の仕方を彼らはまったく知らない。なにしろ正しい仕事を知らないのだから、彼らはむしろ被害者だといえる。だから彼らはその受けた被害を「直ちに仕事を辞めることによって」償われるべきだとは思う。彼らには荷が重すぎたのだ。はっきり言って、日本全体が彼ら使えない管理職に「ヲマエは要らない」といってやらなければ彼らはいつまでたっても日本を壊すことをやめないだろう。
 で、管理職が部下の仕事のサポートをしていた時代は日本にもあったのだ。そしてそうしていた企業は今大きくなっている。問題はかつてそうだった企業も、創業者世代が交代してしまって、その気風が受け継がれているかどうかだ。