アタックNo.1 第100話 竜巻落しの危機

 よよと泣き崩れる姿がサーヴィスカットなんだけども、チェシカのあまりにもなアテ馬ぶりにこっちまで悲しくなってしまう。
 ダメ押しはシェレーニナのこずえに向けてのVサイン。あれやっちゃぁチェシカの立つ瀬がないだろ。せっかく猪野熊が「世界は広い」と言っているのに、台無し。
 しかし、尺が足りないんだろうね。猪野熊の狙いが本当にそれかどうかはわからないんだけど、時間を節約するために八木沢に解説させてるし。チェコ戦で竜巻落しが通用しなくなると踏んで、そしてこずえに更なる成長を促すために支え役として八木沢がレギュラーメムバーになったという配慮もなるほどと思ったのにな。結局こずえの不安払拭、で立ち直り、でシェレーニナとの対決の準備を済ませるって物語上のミッションをこなすという詰め込みで1話を使い切りましたってトコか。
 しかし、ギリギリのリソースでなんとか勝利するというコーチの采配ぶりの描写も(たぶん本職に言わせればちゃんちゃらおかしいのだろうが)、結構迫真のものがあって楽しめた。決して選手として劣るわけではないんだけど、世界のトップレヴェルに攪乱させられてしまう日本のヴェテランアタッカーを基盤に据えながらも、必殺技に頼らなければ勝利をもぎ取ることが出来ないってのは、当時の日本の技術力のメタファーなのかな?と思いながら見ていた。トランジスタラジオとか卓上計算機とか、日本が新製品を開発しても、すぐ底力のある欧米先進国に追い越されてしまう…、でも機械の信頼性では世界と真っ向勝負なんてできないから、どうしても日本は新製品開発で世界の最先端をめざさなきゃならないっていう、いっぱいいっぱい感。相手が新必殺技に翻弄されている間はできるだけリードを稼ぎ、相手が地力で追いついてきたときには、小手先の作戦を使ってでも逃げ切りを図る。松山・木山という大砲が二人いるってだけでもありがたいのに、それでも世界のトップレヴェルにはガチで勝負できない。それでも勝つ工夫は必要なわけで、ちょっとこずえに頼りすぎとは思ったが、そういう圧迫感とか迫られ感は十分に伝わってきた。
 で、こずえ以外のメムバーの物分りが恐ろしいほどよすぎるわな。こずえの成長*1のために先行二セットを奪われるわけなんだが、調子が悪いのをわかっていて使い続ける監督を信頼しているメムバーという描写も、いや第三セットはこずえを使っちゃダメだろうという選手の思いをちゃんと監督もわかっているっていう、双方向の信頼ってのが描写されていて清々しかった。で、さらに面白いのは、当事者同士では理解しあっているのに、外野の観客(新聞記者)はまるでわかっちゃいねぇなってのもちゃんと描写されていること。今はまだマシになったのだろうが、昔は観客は勝手なことを言っていたんだろうなというのが窺えた。
 全104話か〜、あと4話なのね。

*1:いや、本当にこずえの自滅でしかないんですがね。でも松山・木山の攻撃で第一セット・第二セットが取れていたとも思えないって描写はなされていたように思う