かんなぎ 第13話「仁、デレる」

 喧嘩はともかく、仲直りもほどほどにって…。
 放映開始の頃は1クールと思っていたのに、なぜか途中で2クールあると勘違いしており、ぼんやりしていた。前々回より唐突にシリアスモードになり、面喰っているうちに最終回。うーん、恋模様にするってのは原作がそうなっているからなのかな。ナギが自我がどうのといってた割に、こういう流れにするのはなんか卑小に感じるんだよな。で、思い出したのが今GyaOで見ているアタックNo.1ヤッターマン。結局バレーで頂点に立つだの、悪党を退治するだのという目的があの2作品にはあり、これにはそういうものがないわけで、で、落としどころが結局惚れたはれたですか。難しい時代だわな。
 さて、前にも触れたのだが、結局ナギはひきこもり寸前のオタクのメタファーっていうのでいいのかな。仁は主人公なのかと思ったら、なんかポジションは親なんだよな。なんで仁の両親がいないのか、まぁこういうアニメに良くある同じ屋根の下に若い男女が抑制の記号である親を排除してのハーレムという舞台ってのかな…と思っていたんだが、どうもそれだけでは無いっぽい。ナギはその幼児体型っていうんじゃなくても、行動が幼児から少年に至るまでの(いわゆるギャングエイジにまでは至って無いっぽい)子供の行動に酷似しており、それに恋愛要素が混じっているだけに奇妙に感じる。また、ナギも大人を演じることができるだけに混乱は必至だ。で、仁の周辺は微妙に昔の地域要素が残った大人社会を構成していて、ちょっと懐かしさも感じる仕様。まぁちょっと趣味がヘンなだけで、お節介も居、思い遣りを示すのも居で、居心地は悪くない。
 まぁそんなわけで、じゃぁ肝心のナギはオタクのメタファーって部分にはあまり触れないほうが吉と見るのだが、割と日本古来の神の有り様とかにはあまり深入りしなかったのは正解なのかな。ありふれた日常や、ちょっと騒がしい日常も描くといった所で、その目的はかなり達成しているとは思う。まぁこのユルい作品をなんのかんのといって見続けて来れたのは、その居心地のよさが大きいのだと思う。
 絵の描写は表情の細やかさが評価できるのだが、なんというか、他のアニメに比べてかなり高レヴェルであるのに、いざ見てしまうともっと複雑な表現を期待してしまう自分が居て困った。そうなるとアニメよりはドラマになるんだろうけど、ドラマも本当のヴェテランの高齢俳優にしか期待できなかったりするのでなんともな。でまだまだ2Dと3Dがシームレスになったりはしないだろうな。なるべきだとも思わないし。
 最終回の音楽の気合の入れようは、かなり反則なんだが、どういうつもりだったんだろうか。カラオケでも専用に曲の書きおろしなどをやっていて、トータルで見た時のクォリティはかなり高い。
 で、一般人も含めてこの作品を視聴した時に、やはりオタク要素とメッセージ要素の整合性はあまりとれていないのが残念かな。ストーリーの練りこみが足りないというわけではないんだけど、ターゲットを絞る上でどうしても切り捨てる層が多くなるのはもったいないというか仕方がないというか。まぁこの感想を貫くいかにも奥歯に物が挟まったような言い方からもいろいろお察しいただきたい。おもろ。