アタックNo.1 第54話 よみがえらぬ奇蹟

 本郷、張り切り過ぎ。
 まぁ最初はバレーに専念させて体を思いっきり動かさせてこずえの気を散らすのかなと思っていた。が、違った。バレーという、もうこずえが逃げない*1と決めた安全地帯で何度も現実を直視させて、ある意味努の死について麻痺させる手段かと思ったんだけど、それも違うっぽいよな。盲点も、基本右目の盲点と左目の盲点が重ならないように配置されているわけで、本気で消えるダブルアタックの原因をソレと考えているとも思えないわけなんだが…でも素直に見るとやっぱ本気だよな。
 それがはっきり述べられているわけでもないんだけど、こずえにとってのバレーは、もうこずえの実存なり観念上のものなりだけではなくなっている。色々あったが、少なくともこずえ自身を認め、心の支えにもなっていた努と自分とをつなげる唯一の方法がバレーに真剣に取り組むことであり、ヘンな話、努の死によって、むしろバレーから逃げられなくなっているともいえる。
 みどりも今となってはすっかりプレー面でこずえを支える役割になってしまっているが、こずえと張り合って自分の自尊心を満足させるわけでもなく、こずえを高められるだけ高めておいて自分はその尻にくっついて自己の価値を高めようとするわけでもない。かといってみどりにとってバレーが完全に自分のものになっているわけでもなく、こずえがいないと調子を狂わせてしまう。他のバレー部員もある意味みどりに近い立場ではあるのだが、やはりこずえがバレーをするかしないかで、周囲に与える影響もかなり違っているわけで、こずえにとってバレーの占める位置だのバレーをする意味がどうであろうと(物語的に見ると)もう切り離せなくなっている。視聴者としてはずるいと感じてはしまうのだが、ある意味もう文化(まぁ、体育会系的なというのがつくが)といったところまで昇華してしまっているんだろう。こずえのシャワー室での慟哭は、下品に言えば「嵌められた?」というところなんじゃないかと。これからも困難は降りかかってくるんだろうが、以降こずえはスターダムにのし上がっていくわけで、中間地点でのこの確認ってのはよく出来ているわ。
 しかし、消えるダブルアタックを再現してしまい、感極まるところでクライマックスとはやられた。前回のどの場面よりよっぽど心を揺さぶられたよ。サブタイも“奇跡”じゃなくって“奇蹟”なんだよな。

*1:まぁ実際何度も逃げているんだけど。なんかBLOOD+の小夜と良く似てるな。