アタックNo.1 第53話 努の死

 病院に急いでいるはずのタクシーが、トラックに追い抜かれているのは…。
 表題の通り。こずえにとってのバレーとは?というテーマに迫るのかと思ったら、その辺の突き詰めはなく、努の死による落ち込みとそこからの回復というのを中心に描いていた。トコの使い方がうまいので、思わず涙してしまったよ。っつーか、トコ、策士じゃね?。
 こずえを応援するため急いで、それで事故に遭って死んだのなら、こずえも悔やみきれないところだろうが、前回は仕入先が遠く、積みすぎていたわけで、口では応援に行くと言っていても、実のところ商売優先だったんだろうというのが、なるほどうまく考えてはいるわな。富士登山はともかく、バレーにひたむきになれと努は言っていたわけで、試合に注力するのは努の意志であるわけで、こずえの行動にちゃんと意味は持たされている。いくらこずえの名前を呼んでいても、仮にバレーをほっぽり出して努の死に目に会えたとして、努はこずえを叱るだろう。その辺、大事な人を見捨ててしまうようなバレーを憎むという構造は巧妙に避けられていると思う。
 割と努の死が今回の序盤に訪れて、こずえの茫然自失ぶりに時間がかけられていたのだが、不思議と退屈しなかった。内面をあまり言葉で説明しないのにも感心。みどりもトコもこずえのことよりは、バレーに引き戻すような意図が見え透いていて、どうにも素直さを感じないんだけど、バランス的に破綻はしていなかったかな。今のアニメだと、大切なものの死にどれだけの手をかけて描写するかな?と考えて、そういやルルーシュがナナリーを失って我を忘れる様がちょうどあったじゃんかと思い出した。まぁコードギアスは話の流転振りがウリなわけで、ちょっとこの作品のような直球勝負と比較するのも酷だろう。が、概して最近の作品は淡白そうな感じを受ける。君望は例外かな。
 努は死ぬことによってこずえの中で神格化されるわけだが、まぁやっぱりこの作品のテーマを考えると、恋愛要素を取り除くには欠かせない展開だわな。日記でも努はギラギラした欲望をそんなに隠そうともしておらず、かといって抑制もあってやっぱ昔の少女漫画だよなぁと。でも最近の性を全面に押し出した少女漫画よりは格段にいいと感じてしまう。やっぱ歳をとって、直截な表現よりは妄想を働かせるほうがよりエロティックであるということに気づいたのも大きいかな。今回のお話で興奮したりはしなかったのだけれど。で、折り返し〜。