夏目友人帳 第3話「八ツ原の怪人」

 夏目に声をかけてきた女の人の正体とその明かし方にはヤラレタ。
 妖怪を苛めていたのは田沼要なんだろうなと思っていただけに、その肩透かしにも乾杯。某巨大掲示板の作品スレをちょっと覗いたら、原作のほうが内容が濃いらしいが、アニメも尺を考えると良く詰め込んでいるなという評価。ついつい原作をチェックしたくなるが、今回のようなサプライズを見せられると、当然ネタバレ無しに視聴するのが適当なんだろうなとは思う。
 さて、前回の露神・ススギなどの描写から、アヤカシは下層民のメタファー、それも過ぎゆくもの…という印象を受けたが、まぁぶっちゃけ被差別民のことだよなと思ってしまった。牛なんかはエタ・ヒニン、一つ目は障害者あたりか。まぁそんなはっきりしたモデルがあるとも思わないんだけど。
 エタ・ヒニンに関しては、宮崎駿あたりもアニメでモチーフにしていたりするのだが、まぁ大体室町までの職能民あたりが権力者の都合で職業の固定、最下層化を受けたのではないか?という流れが今のトレンドだと思う。網野善彦あたりは河原をあの世とこの世の境として、そういう被差別民を含む下層民あたりの居住地、活動地と規定していたと思うのだが、アヤカシの生息しているのはやはりそういうところだったり、今回のような入会地と思われる、やはり何かと何かの境界に位置するところだったりする。
 どうもまだ3話では結論づけようもないのだが、人間と、被差別もしくは下層民との境界に位置するのが夏目と田沼なわけだ。人間にアヤカシが見えていないという構造になっているが、人間も自分の行動がいかに人を傷つけているのか分からないでやっていることも多く、いや、むしろわからないから平気であるし、わかろうともしないというところにも繋がっているのかもしれない。そして自分のおこないの行く末が分からない人間の力は強大であって、しかも本人がそれを意識していないわけで、弱者たちにとってはそれは強者の気まぐれにしか見えない。そういう構造が田沼父の話ではないかと思われる。弱者にも生存圏があり、そのなかでのシステムがあり、やり方などがあるわけだが、強者はたいていそれに配慮せず、自分のことを第一に振舞う。で、それが横暴と見られていることに気付かないわけだ。
 夏目や田沼は弱々しく、強者の驕りもしくは配慮の欠けた行動に苦しめられてきたのだろう。で、人間誰しも優しくなれるわけではない。イジメられた人間が、やはりイジメの他傷性にダメだしをすることもあれば、イジメ返す…しかもイジメた人間ではなく、さらに弱者を見つけてそれを叩くという人間のほうが多かったりする。というか、普通イジメ返す人間は本質的にイジメが共同体においての階層性強化…しかも自分が下層民化するということを分かっていないことが多い。昨日のアタックNo.1ではないが、弱者へのイジメがまわりまわって全体だけでなく自分の生存圏を侵して、最終的には自滅に至るわけだが、例えば某政権与党が戦後60年も支配しつづける某国では、それに対する反省が全くなされず、亡国の一途を辿っているわけだ。それはともかく、夏目やたぶん田沼あたりは弱者の痛みが分かる稀有の人間として描かれている。だから弱者に頼られる。
 ある意味面白いのは、この作品は和やかでいて、その理由としてあからさまな権力層が存在していないからではあるのだが、「一般庶民に内在する権力側の勝手な都合による横暴」あたりが、これまた巧妙に隠されて描かれていそうだ。それは悪意抜きであることが強調されて、クラスメートが夏目のことをヘンなヤツ扱いしているところにも現れている。夏目は結構それを重く受け止めているわけだ。だからこそアヤカシに名前を返すし、今回の依頼者も無碍には断っていない。三篠なんかは加藤や菅野*1あたりのメタファーだろう。強大な抑圧者を描かずに、抑圧やそれからの解放を描く。お助けものでありながら、静かな抗議ではあるよな。

*1:秋葉や八王子