新・萌えるヘッドホン読本届く。

 表紙が同人誌版の不敵そうな笑みを浮かべた女の子のほうがいいなぁと思い、買おうかどうか迷っていたのだが、amazonのレヴューに「カヴァーを外せ」との啓示。商業版のほうがレビュー機種が多いからお得なのはわかっているんだが、表紙が決め手になるとは我ながらバカである。ちなみに、amazonではフィギュア60%引き祭りをやっていて、シュラキ・トリニティBOX-01「美城暁」も買った。つくづくダメおやじである。
 さて、この本の狙いはアニソン・アニサントラに特化したインプレッションであるらしい。ところが、自分としての狙いはいろんな機種を一人の人間がレヴューをしているというところに魅力を感じていたのだ。読み手が記事の読み方を習得すれば、いろんな機種のイメージを一定の基準で類推することができる。たとえレヴュアーと読者の好みが違おうとも、自分と記事との間に較正をかければいいという話だ。
 幸い、なにをトチ狂ったか、ゼンハのHD650やAKGのK701を持っているので、その記事を参考にしてみることにした。読んで感じた事は、なるほど読み込めば間違ったことを言っているわけではないんだが、レヴューを読んで自分の思っていたことをうまく言葉にしてくれたというような実感は湧かなかった。これだけはさすがに文体と自分の感性の違いがあろうから、レヴューを読んだときのイメージと実機を聞いた時のイメージが一致しなくとも仕方が無いのだが、これだとテキストを参考にするより、レーダーチャートを参考にしてしまうな。そのチャートにしたってあんまイメージとは繋がらないし。全体を読み込めば、この本の表現に自分が慣れるかもしれないので、それ待ちかな。
 というわけで、萌え絵も自分の好みの絵柄が少なくてどうにも微妙でした。商業版でレビュー機種が大幅に増えているのだが、これの発行でメーカーから借りでもしたのかな?。同人誌版と商業版でテキストが違っているんだろうか?。割と掲載許可云々とか公式サイトには書いてあったので、あんまり悪口を書かないようにしているんだろうか?。
 「暮らしの手帖」という雑誌があって、主婦用にいろんな家電製品の消費者テストを行って比較しているものがある。この雑誌の売りは、今もそうなのかはわからないのだが、テスト機種は必ず編集部で購入し、忌憚の無い意見を書くことだ。メーカーから製品を提供してもらったり、ましてや資金を提供してもらったりするとどうしても良い面だけしか書けず、都合の悪いところは引っ込めざるを得ない。だから身銭を切ってテストをするのだというのがこの雑誌の昔の方針である。
 まぁ正直いろんな雑誌のテスト記事も基本はそうであって、特に出版不況がこれだけ続くとどうしても金を貰っての宣伝記事や提灯記事にならざるを得ないとは思う。自転車雑誌でも基本は強い代理店からの実機提供がなければそもそもインプレ記事などかけないわけで、自分なんかはむしろカタログなんだと割り切って読んでいる。あまりに捏造が酷いとアレだが、今では某巨大掲示板などで割とユーザーの意見が迂回して手に入ったりするので、酷い例にあたる事は無いような気がする。
 だから、同人誌という形態をとっているために、あんまりメーカーだのに配慮せずに著者が好き放題書いているというのをちょっとは期待していた。ある程度の偏見は仕方がないと割り切って、それでも勢いで突っ走るレビューが読めればいいなとも思ったのだが、さすがに無理だった。まぁ仮に好き放題書いたとしても、過度の悪口は誹謗中傷と取られてしまうわけで、同人誌といえどもなかなか気を使う時代なのかな?という気がしないでもない。で、表現するにしてもなるだけたくさんの人に理解できるよう言葉を選ばないといけないとすると、どうしてもありきたりな単語を使わないといけないし、その単語をできるだけ多くの機種に使わないと比較が難しくなるだろう。機種によって評価の視点がめまぐるしく変わると、それこそ複数の機種を統一した基準で比較することにならない。
 とまぁ、なかなか一挙レビューはしんどいものなんだなというのを痛感した次第。オーディオ雑誌でその機種がお気に入りの評論家にレヴューをさせ、レヴュアーはいろいろ散らしておくってのは苦肉の策なんだなという気がした。なんのかんの言っても、自分のお気に入りのレヴュアーを見つけておき、その意見をできるだけ継続して追っかけていくってのは、遠いようでいて実は近い方法なのかもしれない。今となっては個人サイトがあるぶんだけ選択肢が増えていていいとは思う。たぶん自分にあったサイトを見つけるのはしんどいとは思うんだけど。個人サイトが目立たないよう放言しているのを見つけるのがいいんでしょうなぁ。