きょうのいきいきホットラインは

 特に特筆すべき点も無いかな。裁判員全員が一致した意見であっても、三人の裁判官がNOを言えば、裁判官の意見を尊重するらしい。そんなんだったら意味無いから最初っから裁判官に任せればいいのに。
 投書では、裁判は復讐をしてはいけないとか言っていた。うーん、大学で法学を学ぶと、やれ秤が象徴であるだの、権力の権はそもそもつりあいをとるおもりの意味だとか習うはずなんだが、どうなんでしょうね?。裁判は被害者になりかわって、公正に復讐をする*1システムであるってのが、いわゆる犯罪に対しての基本的な考えだと思うんだが、それを否定してしまったら、犯罪のやり得になってしまって、収拾がつかなくなるんだけどな。むしろ最近は加害者の人権を過度に重視しすぎて、まさに犯罪のやり得になってしまって、司法が機能していない状態なんだが。特に特権階級の犯罪に甘いしな。
 アメリカあたりだと、たいしたことのない大企業の犯罪行為に大袈裟に訴える例が多いんだが、あれは、力の強い側に対して抑制の意味も込めているわけだ。同じ犯罪を犯しても、強者と弱者では影響力が全く違うわけで、そのへん鈍感もしくは知っててやっている強者に対して自制を求めるものであったりするわけだ。
 好意で医師や教師はクライアントに対して接しているのに、結果が悪いからと弱者である彼らを訴えるモンPを支援する日本の司法とはわけが違う。むしろ日本のモンPは厚生労働省文部科学省を訴えるべきなんだが、強者はずるいから懲罰的にあたらねばならないというアメリカの裁判のいい理念はすっ飛ばして、クライアントの欲望を満足させて自民党のイメージアップをはかるために、ささいなことですぐ訴えるというアメリカの悪い部分だけいいとこ取りしているわけだ。
 沖縄訴訟でも裁判所は強者である政府の味方を進んでしているわけで、まさに日本の司法は強気を助け、溺れた犬を棒で叩くという、世界的に見ればとてつもなく恥ずかしい行為をしているのに、それはスルー。
 なんつーか、違憲立法審査権もまともに機能していないし、政府と一緒になって弱者をいじめるのなら、むしろ裁判所は無いほうがマシだったりするんだが、そういう話にはならないわな。

*1:被害者に好きにさせるとやりすぎるから