夏目友人帳 参 第6話

 続くとは思わなかったのだが、そういや前回の次号予告でも話は掴めなかったな。
 目的はわからないが、妖力の強いものゝ血を集めているという的場と、夏目・名取のコンビが対決するという構造。今回は泣かせのためにクライマックスをつくるという構成ではないので連続悌泣記録は断絶したが、それでも困っている人を見かけたらほっとけない人々のあり方にはホロリとさせられる。
 的場の血を集めているという目的が明らかになればまたはっきりとするのだが、もし妖力が的場の利権に繋がるのであれば、欲深いものが弱いものを喰い物にするという構造になるわけで、その戦い方には注目だ。
 話がちょっと逸れるのだが、週刊マガジンに短期?連載だかで犬が人語を解して推理(の手伝い)をするという探偵犬シャードックとかいう漫画が始まって、1エピソードのいちおうの結末になった。学校内でいじめがあり、いじめられていた生徒の母親が同じ学校の教師で、いじめていた側に復讐し、その復讐を見破られるというもの。いじめていた側も生徒であって、ある意味弱者といえなくも無いのだが、話では相手を自殺に追い込んでおり、しかもその事に反省がないという設定だった。少年誌だからとりあえず罪は罪ということで、母親が自首という形で断罪を受けるということになっていたんだが、近年世の中の荒れと共に、自分自身は「復讐は何も生まない」という論に見切りをつけていたので複雑な心境だ。欲深いものゝ犯罪は現実問題大半が見過ごされているのだが、じゃぁ痛めつけられた弱者が(強者が償いをしないというのに)断罪されるのを少年に見せるというのも罪深いものがあるような気はする。
 シンデレラもグリム童話では意地悪な継母は焼けた鉄板の上で踊らされるという結末が、日本に導入されるとそういう残酷な結末は省略されている。民話なんかは特に地域社会の道徳規範という要素が色濃いのだが、そういうのが童話に改変されると残酷なしっぺ返しというのは緩和される傾向にあるようだ。が、なぜ民話がそういうしっぺ返しの構造を長い時間保っていたのか?というのを考えると、むしろこういう「赦し」を初めとする緩和というのは「悪いことをしてもやったモン勝ちになる」という構造を生み出してしまうのではないかと最近切実に思わされるのだ。
 で、話は元に戻るのだが、この夏目友人帳という作品が、弱者(前回は異能者ではないかという論をブチあげたが)への暖かい眼差しを大いに含むものであるというのを考えると、今回の戦いの結末が気になって仕方がない。的場家というのが大きい組織であることから、相手に償いをさせるだけの勝利は収めようもなく、戦いに勝つにしても相手が弱いものに手を出し難くするという方向に持っていくしかない感じはするな。いや、まぁ別に強大な敵が弱者に打ち負かされるってのもよくよく考えてみればリアリティがないわけで、かといって弱者は弱いからそのまゝ負けちゃいましたというのを見たいというわけでもないわけで。そこらへん、仮に勝ったとしてにこやかに許すってのだけはさすがにやめて欲しいが…。