警察組織の腐敗をテーマにした映画「ポチの告白」の高橋玄監督にインタビューしてみた - GIGAZINE

 gigazineは魚拓が取れないらしい。が、取れなくても残っている可能性は高いような気はする。それはさておき、警察の腐敗を描いた映画の紹介。引用をしてみます。

世間を騒がせたカラ領収書による「裏金作り」や、暴力団の薬物取引を見逃すための自作自演の拳銃押収、事件になっても逮捕される前に懲戒免職にすることで現職警察官ではなく「元警察官」として報道されるマジック

大体、カラ領収書による裏金作りというのは国家的にやっていることなわけですから。この映画に出しているのは警察犯罪の累犯の代表例なんです。

警察官は本当に一般市民のことを「お前」呼ばわりしますからね。それは、連中は行政の公務員なのに、納税者の方こそ主権者だという当たり前の認識に基づいていないからです。もちろん常識的な対応をするという人は数少ないですけどいるわけなんですが、9割以上の警察官というのは意味もなく高圧的で理不尽なことを言うわけですね

職務質問だって、警察官職務執行法をまともに守ってやっている警察官なんていないに等しいんです。法律はあるけど無視して全然大丈夫だという風に上司から言われるわけなんで、だから令状ないのに車の中を調べるなんていうことをしょっちゅうやっているわけじゃないですか。あれは本当は訴えたら起訴されなきゃいけないんですよ。でも、実際に訴えたところで起訴されませんよね。それは警察と検察は繋がっているからなんです。

つまり「日本が法治国家」というのは大嘘であって、そんな連中にまともに応対しても仕方がないので、逆にこっちから追及していくということは随分やっていました。当然、向こうもそういう突っ張った国民に対しては突っ張ってくるわけです。かといって逮捕されるようなことを僕はやったことが無いので。

だからそれなりに法律も勉強してますし、警察内部のこともそういう意味で詳しいんですね。向こうもそういう人間にはかかわりたくないんですよ。基本的に警察の仕事は弱いものいじめですから、張り合って勝てそうにない相手には逆にかかわりたくないんです。その辺がやはり役人の基本なんですよ。つまり、面倒に巻き込まれないようにしよう、という。

やはり「情報の支配」ということに問題がありますね。北朝鮮の状況がよくやり玉に挙げられていますが、日本も笑えないだろうと思います。新聞を信じる人というのは今はあまりいないかもしれませんが、庶民感覚的に「新聞はテレビのバラエティ番組やドラマよりはちゃんとしたものをやっているんだろう」とか「NHKの報道というのは民放よりも正しいんだろう」といった不確実な認識というものがなかなか変わっていないですよね。

戦争世代の人がこの映画を見ると、すごく支持してくれるんです。「英語を使ってはいけない」というのが一夜にして変わってしまったということを経験している人は、大本営発表的なものは元から信用していないわけなんですね。特高警察時代を知っている老齢の女性が見に来ていて、「よく分かります」と言ってくれたりもしました。

だから特定のマスコミだけに独占的に情報を提供する「記者クラブ」の制度はおかしなシステムだと分かりつつも、食うために従っているわけなんですよね、記者たちは。だから新聞社の人だって、定年退職を迎えて退職金をちゃんともらって、自分に何の被害もなくなってから言おうとするんです。生活権がかかっているので、当事者たちを一方的に非難することはできない側面もあるんですが、でもそれを理由にしていたら、生活のために犯罪に手を染めるヤクザを肯定しないといけないという話になるわけですよ。

「日本は法治国家」と言われていますが、法律を守ることによって逆に人の道とか義とかいうことが失われていて、それを助長しているのがやはりマスコミにおける記者クラブ制度などであろうと思います。

「日本の警察とはこういうものだったのか」という驚きがあったようです。日本は安全な国だという背景には日本の警察が優秀だからだろうというイメージがあったようですが、僕は海外の映画祭に呼ばれた時に、そういうことではないということを話してきました。日本の治安がいいのは警察が優秀だからではなく、日本人のモラリティが高いからではないかということです。

なおかつ他国の警察犯罪と違うのは、日本の場合はこれを国家的にやっているということですね。裏金作りなんていうのは警察官個人や、ある所轄の○○署だけが悪いわけではなくて、警察庁が具体的に指示を出してやっていることなわけですから、こんな国はほかにはないですね。だから、それに対して「なぜ告発されないんだ?」ということになるわけですよ。

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そこで質問なのですが、日本の警察官のうち、どれぐらいの割合の警察官が不正を働いた経験があると考えていますか?

高橋:
自分が手を染める染めないにかかわらず全員ですね。100%です。先ほども申し上げましたが、ずっと裏金の領収書作りを拒否したために定年退職まで35年間巡査部長から昇任できなかった仙波敏郎さんから具体的に内情を聞きましたけど、彼自身が「警察は日本最大の犯罪組織」だと証言しています。警察組織のなかで違法行為を拒否すれば村八分にされるし出世もできない。辞めてから告発する人はいますが、それは「自分は違うぞ」と言いたいだけの話で、本当に変えたいと思ったらその時に言わなくちゃいけない。

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裁判員制度が始まっているにもかかわらず、いまだに警察や検察による取り調べは密室で行われ、ビデオテープなどによる記録も積極的に行われておらず、映像記録や録音すら義務化されていないため、警察が勝手に調書を作文してねつ造し、ありえない事件をでっち上げることすらいまだに可能となっていますが、そのことについてはどのように考えていますか?

高橋:
裁判員制度についてもブログで公言しているんですけど、つまり不作為の1つなんですよ。「裁判所の判決が民意を反映していない」という世論がいろいろあって、だから民意を介在させた制度を作ろうというのは、僕から言わせると順番が逆です。判事が世の中のことを分かっていないというんだったら、まず判事の再教育をする制度を作るのが最初だろうと。

例えば判事をヤクザの事務所に3ヶ月見習いに出すとか農業をやらせるとか、工場労働をやらせるとか、そういった庶民感覚を身に着けさせるのが先で、法務省がやったことは「お前らそんなに批判するんだったらてめえで裁判官やってみろ。大変なんだぞ」という逆ギレですよ。公務員が国民に対して逆ギレしたのが裁判員制度ですよ。

しかも形だけ陪審員制度に似せたようなフリをして、実態は違うわけですよね。評決不能というのは許されないし、短期間で有罪か無罪かどちらか決めろというわけでしょう。しかもプロの裁判官が入っていれば、当然早く終わってほしい国民からすれば、裁判官に「こっちはは専門家だから」と言われれば、その判断に傾くわけです。言われなくても庶民側は、裁判官の判断を尊重するでしょう。国民はいいスケープゴートにされているんです。僕なんかは召喚状が来ないかなと心待ちにしているんだけど。

ある裏社会に詳しい人に聞いたら、裁判員制度の召喚状が山口組本部に何通も届いたらしいんです。無作為に選んだ結果ということになっているんですけど、僕は裏読みして、これはわざとやったなと思っているんです。わざと暴力団の組員に裁判員制度の紙を送って、その情報が漏れたとするじゃないですか、そうすると「やっぱり無作為というのはいくらなんでも無茶だから、こういう間違いがないようにある程度絞ろう」という風にして、結局は権力側の言うことを聞きそうな層にだけ絞っていくために、あえて自分たちで仕掛けた伏線ではなかろうかと思っているんですけどね。

裁判員の手当はたった1万円ですが、実際の判事の給料はそんなに安いわけないですよね。なおかつ500円を弁当代だとかいって徴収するらしいので、それもどういうことだっていう。まったくデタラメな制度ですよ。

法律が変わる時というのは必ず官僚や権力側の利益になるときにしか変わらないですよ。国民の利益のために法律が変わったことは、歴史上一度もないのではないでしょうか。警察が利益商売のためにそういったことをやるのであれば、ヤクザがやっていることだって肯定しなくちゃいけなくなるわけなんですね。

彼らも犯罪者といいますけど、実際に日本中に収監されている囚人の中で、暴力団員と正式にカウントされているのは30%しかいないわけなんです。残りの70%は不倫の果てに人を刺しちゃったとか、食うや食わずで物を盗んじゃったとか、交通事故で人をはねちゃったとかいった、いわゆるカタギの人なんです。

つまり犯罪組織の人間は罪を犯す人間の3割、暴力団員の正式な名簿からしても日本の総人口と比較するとおそらく1%になるかならないかというくらいですが、そんなもののために法律の改正なんてやる意味が分からないですよ。法律を変えることによって、何らかの新しい会社ができますよね。それによってキャンペーンをやるためのポスターを作る会社とか、バッジを作る会社とか。

全部天下りの再就職先の確保のためなんですよ。今、ベビーブーム世代の年功序列がそのまま上がって来てるせいで、警察からは年間1万人くらいの退職者が出ているんです。ここ数年は毎年、1万人あまりのOBをどうするかということが警察社会の悩みの種。こんなに信号がやたらと多い国も日本くらいじゃないですか。信号機の製造やカーブミラーを取り付けるのも全部天下りOBの会社が受けていて、仕事を作らなきゃいけないから、いらないところまで信号がついているわけなんです。

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弁護士であり、衆議院議員も務め、国家公安委員会委員長にもなった白川勝彦氏が自身のサイトで、ちょっとむさい格好で渋谷を歩いていただけで警察官に職質(職務質問)され、めちゃくちゃな目にあったことを公開していますが、なぜ警察は職質する相手を見た目や雰囲気で判断するのでしょうか?

高橋:
やっぱり、警察官になろうという人間の性質ですかね。警察は肩書き社会というか階級社会じゃないですか。だから階級さえ上がれば、その人間の能力はまったく関係ないんです。この映画でもやりましたけど、「選抜」という通常の昇進試験とは違うものがあって、上司に気に入られたら昇進できてしまうんですよ。

つまりどんな手を使ってでも上司に気に入られて階級さえ上がれば、能力は関係なく給料が上がっていくわけです。そういう感覚の人が警察官、または公務員とかになるわけだから、見た目や形式といったような形而下的なものですべて判断していくわけです。だから「ボロを着ていたら怪しい人」だとか、殺傷事件を起こしたやつがアニメオタクだというなら、そのような格好をしているやつしかマークしないわけです。でも怪しい人間がわざわざ怪しい格好をして歩いているわけがないんですけどね。逆に言えばちゃんとした背広を着て、カバンを提げていればどんなテロリストでも素通りできるという話ですよ。

実際に犯罪行為をやっているかいないかということは建前上にしろ裁判があるわけですから、暴力団であるという理由だけで裁判をしていたら、公判を維持できないじゃないですか。公務員である彼らの価値観というのは、「下手を打たないようにしよう」ということなんです。実はこれはヤクザも同じで、いかにも気ままにやっているように見えるけれど、組織の上の人間に対して間違ったことをやってしまったら一発で食べられなくなってしまう。

「自分がやったことは大丈夫なのか」というのが一番大きな判断材料になっているんです。「暴力団だから一網打尽」というのも、1つ1つの容疑というのがつかめない限りはどうしようもないですよね。一方、所轄レベルでいえば、暴力団と警察というのはある種トムとジェリーであって、ガサが入る前には付き合いのあるところがあれば情報がいきますよと。

例えばちゃんと名簿に載っている組員であれば、あらかじめ逮捕する時間を教えて、親分と刑事の部長クラスで話し合いがあるわけなんですよ。当分女房子どもに会えなくなるので、「3日やるからその間に身辺整理をしてこい」ということになるんです。その辺りがヤクザと海外のマフィアが違うところで、日本のヤクザは逃げないわけなんですよ。逃げたら組織がまるごとやられてしまうから。「こいつを差し出すから、組織全体はやるなよ」という暗黙の了解というか文化があるから、ヤクザというのは非常に特殊なんですよ。

これは警視庁の国際犯罪対策課にいる定年間近の警察官の話ですが、退職間近になると暴力団と身近になるんですよ。当然OBなら天下り先の会社に行くこともできるんですが、もっと荒稼ぎしようと思うと、後輩から取った「ガサが入る」という情報をヤクザに教えて見返りを要求したりとか、色んなことができるわけなんですね。

そういう意味では、警察とヤクザは両輪というか、表裏一体ではあると思うんです。ただ、ヤクザ側から言わせれば「警察の方が汚い」と言います。いざとなったら警察はれっきとした国家公務員だから、向こうの方が社会的に強くて大義名分があると。警察とヤクザの戦いはそんな中で繰り広げられています。

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警察官の中でも平気で職権を濫用して一般市民を脅迫してくるケースを実際に見聞きしたことがありますが、そういう場合には各都道府県の公安委員会に訴え出れば解決されるのでしょうか?それとも、実際には警察官を訴えるなどの行為は無意味なものなのでしょうか?警察が不正を行っている場合、一体誰がどのようにして罰することができるのでしょうか?

高橋:
公安に訴えたところで解決はされないですね。警察を管理しているのが公安委員会なわけですから。僕も無駄であるとは思いながら、警視庁の苦情窓口とかがどういう対応をするのか試しにやってみたことがあるんですよ。木で鼻をくくったような対応で、むしろクレーム対応の窓口自体がえらそうで、「何か文句があるんですか?」的な雰囲気だったんですよ。「相談窓口がある」という、あくまで建前上の話でしたね。

司法判断というのが近代社会においては最終結論になるわけですから、最終的には裁判所が判断することが結論になるわけじゃないですか。でも日本の場合、裁判官も検事も弁護士の入り口も全部一緒なわけですよ。司法試験に受かればいいんですから。だからこそ警察を罰したいと思ったら、裁判員ではなく、純粋な意味での陪審員制度にする必要があります。

実際に裁判官なんかに聞くと、やっぱり検察が起訴したものに対して無罪判決を出されただけでも出世の道は閉ざされると言います。日本の異常な有罪率はそこに起因しているんです。検察が起訴した時点でほぼ自動的に有罪になるという、こんなことは世界中見渡してもほとんどありえないじゃないですか。それが通常のようになっているということを一般の人は知らないんですよ。容疑者になってしまったらその時点で犯人と確定したようなものだと。「逮捕されたら終わり、起訴されたら終わり」というのは、ある意味ではその通りですよ。

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最後に、日本の未来は明るいですか、それとも暗いですか。

高橋:
どの観点から見るかによりますよね。みなさんこの映画には救いがないとおっしゃるんですが、わざと子役の女の子を起用した理由というのは「未来は明るくしていかなきゃだめだ」というメッセージです。息子でなく娘にしたのは、子どもを産めるのは女性だからですよ。

国による教育費の保護も日本が一番少ないわけで、「人材が財産となる」という考え方が本当に無くなってしまったと思います。JALがこの間倒産ということで、こつこつと5万株貯めたおっちゃんが嘆いている……という内容をテレビでやっていましたが、そもそもそんなものを信じているからいけないんだと。「株はすごいもので、これこそが財産だ」という風にやってきたのが実は幻想だったということがあるわけです。

たとえば農業とか漁業といった生産労働が堅実なようなものとして見られていて、映画屋なんていうのはそれこそヤクザ商売だという風に思われていますが、僕から言わせれば天気を相手に商売している農業や漁業と映画、本当に不安定なのはどっちなんだと思います。そういう風に物の見方の角度というのはいろいろあるわけで、映画というのは見方の1つを提示する仕事ですよね。開いたノートパソコンを後ろから見たらただの四角いハコでしかないですが、逆から見たらパソコンだって分かるように。

今回の映画もみんなが見ている警察を横から見ただけの話なんです。そういった意味からすれば、今日本が不景気だとか、子どもが少ないとかいう見方もあるけれども、一方で外国人の方が日本人的な価値観とか美学ということを勉強しに日本に来たりとか、日本のならわしや行儀というのをリスペクトしているような外国人の方が生み出したものを日本社会の中に取り入れていくような、一種の日本的価値観の逆輸入というか、「多くの視線を持つ」というのが重要なんだと思います。

 いや、もうなんかね、この映画を作っている時にいろんなテーマについて整理していたんだろうなとは思うんだけど、かなり的確に物事をついているというか。