この素晴らしい世界に祝福を!2 第1話

 もしかして、この2こそアニメ化というか、世の中に問いたかったことなの?。
 リゼロは結構感想がしんどかったのだが、やはり同じWeb小説出身ということで比較したのでちょうどいゝやとばかりに。
 ほとんどのなろう小説の異界転生モノは、こうつらい現実からの逃避先としてのファンタジー世界があり、しかもそのファンタジー世界は主人公のいる現世よりも学術的に遅れた世界であって、大抵の主人公はその近代的知識を駆使して「俺TUEEEE」という展開になるのだが、このすばもリゼロも、そういう構造とはちょっと違っている。主人公たちが飛ばされた異世界では、決して主人公達は俺TUEEEではなく、現実と同様かそれ以上に苦労させられることになっており、そのへんはいくらなろう小説がご都合主義とはいえ、他の作品とは違っている。本作も第1期ではもうちょっとのんびりしていたというか、キャラ達のバカ騒ぎに腹を抱えて笑うという作りになっていたと思うが、この第2期の最初を視聴した限り、コメディ仕立てになってはいながら、そこで繰り広げられることは決して頭を空っぽにして笑いこける題材ではない。前期で主人公が街の危機を救い、それは周囲の誰もが悪意がないのがわかっていて、もちろんそれは衆目に晒されていたわけで、その辺の事実をその地の権力者が不利益だからといて犯罪者にさせられてしまうわけだ。ウソ発見器が本当に信用あるものであると周知されているのであれば、今回主人公が取調べを終えた時点で嫌疑は十分晴れているのであり、無罪放免されて決して裁判になるということはない。結局のところ魔王の手先と知り合いであるということで、別件起訴されているというだけの話で、よくよく考えてみればあの裁判はその流れで開廷されているに過ぎない。しかもおそらくあの世界での法律では無罪とされていることが権力者の意向で有罪にされるという場面は、これどう考えても現実の投影と考えるしかない。もちろんいかにもそれっぽいのが沖縄の裁判であって、権力側が法律を捻じ曲げて、しかもアベ政権の意向を十分に汲んだ裁判官が不自然なまでに出向か転出してまで、権力側にだけ都合のよい判決が下されるあの例を揶揄していると考えるしかない。オモロイのは、主人公が拘束されるまでの場面で、周囲が権力(の脅し)に対してどのように振舞うのかすら明治以降の日本人のあり方を活写していて薄ら寒いほど。さすがに原作が今のアベ政権のあり方を見てそれに触発されてこういう描写をしたとも思われないが、しかしもうかなり前から最高裁の判事は自民盗の息のかゝった連中ばかりが就任するだとか、もう政権に都合のよいように司法が従属しているって構造自体はかなり前からそうなっているので、言うなればアベ政権ほどでなくても現実を反映させたか、先を予見したと言ってもあながち外れでもないような気はする。
 そのへん今となってはあまり比較することの価値は無いとは思うが、現実の反映がこのすば2期の本質であるならば、リゼロは権力に対する批判性がないという意味ではやはり落ちるような気がする。いやまぁ魔女教団がカルトであって、自民盗政権の中でもカルト色がずば抜けて濃いアベ政権のメタファーであって、リゼロ2期がそういうのを描写するというのであればまた話は違ってくるのだけども。