接客業の崩壊

 痛いニュース(ノ∀`) : 接客業のアルバイトが若者の間で不人気 - ライブドアブログ
 うーん、何というか、â‘΃Tƒ|ƒZƒ“–ÙŽ¦˜^なんか昔からあって、もう消費者のモラルが地に落ちて日が経っているのはわかってはいた。それが医療現場や教育現場なりの、消費者が到底それだけの負担もしていない分野での乱暴狼藉を働くことで、もう現場での問題ではなく、日本全体での医療や教育が崩壊してしまっている状況である。もちろんメーカーのクレーム処理も、PL法とやらができて壮絶なことになっている。自民党も支持率獲得のため、調子に乗ってクレーマーの肩を持ち、現場をイジめていたが、やりすぎて自分も困っている状況らしい。なぜなら、そういう構造が国民にバれて、権力の座から転げ落ちそうなため。
 結局お客様論理を突き詰めて考えていくと、日本のように既に何十年も前から産業構造として第三次産業、つまりサーヴィス業に従事する労働者数が半数以上に達しているところでは、クレームがまわりまわって日本全体に広がっていくってのはわかりきったことだ。しかも、'80年代以降は特に老人・障害者福祉が叫ばれ始めていた頃で、モノと金との間に介在するサーヴィスから、人間関係と金の間にサーヴィスが介在して行ったわけで、そこに客観的な価値判断のあろうはずも無い。よく20年もかゝったわなと、むしろスウェーデンの未婚の母に手厚い保護が加わって、あっという間に群がって財政が破綻しそうになり、急いでそれをやめたことを考えると、それまでに蓄積されていた日本人のモラルの高さに驚くべきであろう。
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270 名前: 但馬牛(コネチカット州)[] 投稿日:2007/12/12(水) 14:48:00.43 id:RXhQNVC0O
イベントの案内のバイトしてたが
こんなにも常識が無い大人が多いのかって
愕然としたな
中学生とか高校生の方がよっぽどまとも

 と、ゆとり教育で日本語が通じなくなっている子供のほうがまだマシと言われているからには、よっぽどオトナのモラルが低下していると思うのだが…。というか、数において圧倒的とされる団塊のクレーマーとか、昔のまだモラルが健在だった頃の日本で育っているんじゃなかったっけ?。まぁ、彼らが少年犯罪について圧倒的な発生割合を誇っていた世代(団塊以前も含む。たぶんプレ団塊団塊・ポスト団塊の幅広い層でクレーマー率が高いんだろう)なわけで、なるほどと納得できる部分もあるのだが。
 しかし、いかに団塊の世代潜在的犯罪能力を秘めているにせよ、昔は我慢もしていたわけなんで、それよりもっと年齢の高かった世代が、今の団塊の年齢の時にはそれなりにおとなしくしていたわけで、それを考えると、やはり社会の変化が大きいのだと思う。しかも、ヨーロッパでは先の大戦で同じように、いやむしろ絶大な被害を受けながらも、ずっと共生社会というテーマに関して先に進んでいる(ように見える)ので、同じ人間としてやはり認識が違っているのだろうと思う。要素の一つに戦争犯罪人を自分の手できちんと処理したかどうかも深いと思うんだが。
 まず、中曾根内閣による土光臨調の「すべて民営化、金のために市場原理主義」という流れが大きいというのも、今まで主張してきた通り。国鉄が民営化され、それまでまだ田中角栄のようにタテマエだけでも地方へのまなざしがあったのが、あっさりと都市のために切り捨てられたわけだ。国鉄時代の借金は増えているぐらいらしい。不採算部門を切り捨ててもそういうカツカツの経営しか出来ないわけなんで、民営化でオイシイ思いをした層がいて、あとは国鉄時代と何ら変わりない…鈍行の旅をしてみればわかるが、むしろ不便になっている…わけだ。上記医者のところでの引用にもあったが、むしろ国鉄職員の献身によって成り立っていた部分を金にならんからと一切切り捨てたわけだ。
 福祉も胡散臭かった。お年寄りを支えるのは長男の嫁というのもしんどい話ではあるのだが、そうやって家庭や家から主婦を切り離して労働力として安くこき使ってきたというのは、もうかなりの層にわかってきていることなのではないかと思う。老人介護など福祉の分野は地域や家庭の力を金に換えることなく、社会資本として温存していれば、年金問題などでも悲惨なことにはならなかったのではないかとも思ってしまう。家庭が崩壊し、イザ自分が老人になるということを考えれば、だれだって年金にしがみつくのはあたりまえで、そうではなく、家族のつながりで老後もカツカツ暮らしていけるということであるのならば、今より金の多寡にこだわったりしなかったのでは?とも思う。人と人とのつながりを保っていれば…と思ってしまうのであるが、自民党がそれを金に換えて社会を壊し、いざ混乱しているという時に掠めとった金は決して国民に返そうとしないで、まだ消費税や特別会計にしがみついて暴利を貪ろうとしている。
 以前住んでいたのは、近所には老人しかいないという土地で、で、その老人がその当時で70後半の人たちだったのだが、独身の自分にまで気を遣ってくださる方々であった。家の電気製品が壊れたから見てくれと言われて様子を伺いにいったことがあるのだが、凄く丁寧だったりした。たぶんあの方たちは親の面倒を見ていたが、自身はたぶん子供には面倒を見てもらえないんだろうという層だ。とはいえ、かなり範囲は広いと思うので、やっぱり団塊やそれより下の層なんかも、自分の親の世代の面倒は見たが、子供の世代には面倒を見てもらえない層に当たる人がたくさん居るのだろう。その老人も老人ホームには行きたくないと言っていた。体が動いて畑仕事などしていてまだまだ元気な人だったが、そうでないと身体も精神も弱ってしまうだろう。そういう人たちのために「水戸黄門」が、実は単なるドラマを超えた役割を果たしてきたと思っているのだが、その話は置いといて…。そういう人たちの、孤独感というか切り捨てられ感というのが、もしかすると接客業の立場の弱い人々に向けられるのではないかとも思ってしまう。つまり人と人とのつながりを断って金に換えてきた自民党のやり方が、人々の心を荒ませたというわけだ。
 で、そういう年齢の高い層だけでなく、労働者層でも人と人とのつながりを断ってきたのが自民党のやり方だ。経済成長率あたりを見るとわかると思うんだが、バブル崩壊後、ほとんど成長していない。ついバブル後の大企業が最高利益を挙げただの、イザナミ景気を超えただの言っていて、ごまかされそうになるんだが、よくよく考えてみると仮に儲けたとしてもそれは自民党を初めとする政治家の懐に入り、海外の隠し口座にしまわれたり、アメリカの40年だの50年だのの国債購入に当てられてしまわれたり、防衛庁随意契約のように、金が特権階級の中で循環していくにつれ、横領されて目減りしていくだけで、社会構築のために再投資されたりすることがない。とにかく仕事をやったという書類をこさえて、適当に日銀が円を発行して金が多くなったように見せかければ経済成長していると捏造することが出来るわけで、実際に経済成長しているかどうかなんて眉唾である。
 で、実際に日本が何を作っているのか?と言われれば、もうすでに軽以外の国産車すら売れなくなっている状況で、実は無駄なものを作っているという状況なのかもしれない。とにかくモノが溢れて、既に生活必需品以外のモノは必要性だの機能性だので売り買いされているような時代ではないわけで、実は要らないものを無駄なコストを掛けて作っているに過ぎない。しかも5割を超えるサーヴィス業ではそもそもモノすら売ってないわけだ。すなわち生きるために必要もないものを取引していかにも経済活動をやってますという体裁を整えているだけに過ぎない。たぶん日本国民が生きるために必要な物資と社会を円滑にするために必要なものがあったとして、その何十倍何百倍もの無駄な金が経済活動として流通しているんだろう。たぶん実際に必要な財は我々が思っているより少ない。特権階級に都合のよいように貨幣価値もしくは貨幣システムというのが捏造されているだけだ。
 私の妄想する通り、実際には経済成長なんてしておらずということが正しければ、今小泉・安倍内閣で強化された自由主義経済というものは、「パイが減少する中での奪い合い」というのを競争原理でやらされているだけだ。いくら働いてもそれは自民党政府やその内意を受けた日銀の策略で総量が抑えられている限り、配分だけが変わるというものだ。たとえば、Aさんがとうもろこし10㌔をつくり、Bさんがとうもろこしを10㌔作ったとする。そのとうもろこしの総量20㌔にたいして円価20万円が今まで与えられていたとする。それが次の年にはAさんはがんばってとうもろこしを20㌔、Bさんがこれまたがんばって20㌔つくったとする。でもそれに対してやっぱり日銀が円価として20万円しか与えなければ、(そういう価値処理をしたら。もちろん増産分は特権階級が横領するのだ。)、もしくは経済成長を演出するために22万円しか与えなければ、がんばったらがんばっただけ損な社会が出来上がる。どうせ総量として20万円の円価しか与えられないのならば、Aさんはがんばったふりをして5㌔のとうもろこしをつくり、余力でBさんの邪魔をして彼の生産量を減らせばいいわけだ。Bさんを邪魔して1㌔しか作れないようにしたら、それだけでAさんは15万以上の金を手に入れることが出来る。実際には中間搾取層や、その層からのアガリやミカジメで楽に暮らす特権階級がうまく掠め取るシステムができあがっているわけで、実際にAさんやBさんが楽に働くことも出来ないし、一生懸命働いた所であがりはそっくりそのまゝ上がいただく寸法となっている。
 ま、いうなれば、今の自民党政府下の日本ってのは、そういう社会構造になっている。大雑把な言い方をすれば、がんばればがんばっただけの分は自民党や特権階級、アメリカやユダヤ金融資本の懐を潤わせて終わりという構造になっている。仕事をやり遂げるための、実資本だけでなく、人と人との協力関係などの社会資本やモラルもその時に金に換算されて自民党や特権階級の懐に入るって寸法。もちろん国民は自分たちが受けるべき社会資本やモラルを失っているから、個人間でギスギスするのはあたりまえと思う。
 人が人を非難して得をするような社会になっているから、今までのモラル維持層も金儲けのためのインセンティブが働いてクレーマーにあっさりと変身するし、とうぜんそういう姿を見てその子孫も学習する。人があっさりと自分を切り捨てたり傷つけたりするから、人に対しても同じ所業が許されると勘違いする。特に体が弱って正常な判断が出来ないような状態で、医者にあたるという現象も、無理からぬことと思わないわけでもないが、決して許されることではない。その行為が善意の相手を傷つけるだけでなく、社会を壊すことになるからだ。もう、日本は壊れている。
 援助交際について何度か言及したが、自民党は基本的にたたきやすいほうを叩いてコストを弱者ばかりに負担させるばっかりだったので、イザ国家全体として負担に耐えられなくなると強権を発動してなかったことにする、もしくは違法行為を合法化するということをやってきた。だから、社会が負担に耐えられると思い込んで、いつまでも弱者を叩けるだけ叩こうとするだろう。そこに国家運営という視点は全然無い。末端で叩きあいをさせて、常に自分の有利に働くよう肩入れをして権力基盤の増強を図る。その所業で国力が落ちるのを厭わない。あまつさえ、日本に残っているなけなしの部分ですら外国に叩き売って、そのキックバックでオイシイ思いをしている。
 原因ははっきりしている。そして実は対処方法も簡単だ。人が人を傷つけたり切り捨てたりする連鎖を止めるには、元を断てばいいのだ。上流に行けば行くほど根は深く、その処理が適切であればあるほど良くなるのもはやい。一番の上流は自民党のように人を切り捨てて金に換えるという行動だ。コレを無くさない限りいつまでたっても害悪は垂れ流しだし、逆にコレを断罪できれば社会はよい方向に流れていく。破壊の程度が凄まじいだけに上向き具合になるのに大変なモノがあると思うが、やるべき時にやっとかないと這い上がれなくなる。