今日のいきいきホットラインは

 ちょっと流して聞いていて、あんまり覚えていない。聴取者からの投稿にのんびり答えていたような気はする。んHKの想定する対象聴取者層のことを考えると、女性B層の歓心を得るために男にも子育てをさせたいという主張なんだろうが、どうやら今までの流れだと、アテが外れたんじゃないかな?。
 まぁ確かに高度経済成長期あたりだと、男性あたりは仕事をダシに子育てから逃げていただろうという線はあるんだろうと思う。そもそもその前段階としての戦前教育ってのがあって、男子たるものお国の為に滅私奉公という虚構が信じられており、終戦後もそのエネルギーを経済成長に刷り返させられて、いかにも会社に尽くすこと、会社で指定される仕事とやらに邁進することが正しいというまやかしに騙されていたということだろう。
 まだ、それでも働いただけ給料が上がった時代だと、そういうおためごかしも通用したとは思うんだが、バブル期に、いざ経済的に満たされた段階に至って訪れたものは、マネーゲームであり、自民党の演出した大量消費・悦楽重視に酔う層が続出ということなんだろう。しかし、バブルが崩壊してみると、あれほど尽くしてきた会社から三行半を突きつけられ、幻想が消滅したというわけなんだろう。いまや会社が報いてくれるなんて信じている人間は一人もいなくて、(まっとうな人・組織もあるだろうが)薄汚れた経営層はいかに末端の労働者から搾り取るかしか考えていないし、正社員だっていつ非正規雇用に突き落とされるかという恐怖におびえているわけだ。家庭を顧みずに会社に尽くした所で、会社は何にもしてくれないというのを、もうこの10年で思い知ったという段階なんだと思う。それでも日々の糧を得るために、いくら会社が理不尽だといっても、少しでもいい条件で金を得るために我慢する労働者が多くなっていることなんだと思う。
 で、まだまだ数は少ないとは思うんだが、そういうキチガイ沙汰に飽き飽きした男性というかドロップアウトさせられた男性が、いざ子育てに関わってみると、案外毛嫌いしたものでもないわなというのが、ここ4日のうち3日に出演した男性ゲストの感想なんだろうかね?と思ってみる。会社に切り捨てられた男性、もしくは切り捨てられないまでも会社でのギスギスした人間関係に飽き飽きした男性も、いざ子育てに参加してみると、これが会社と違って、思い遣れば思い遣るほど子供との信頼関係が築けてしまい、かえって子育てに魅力を感じてしまったという人もいるんではないのだろうか?。それでも会社に縛られて、やりたくても子育てに関われないとか、関心があろうと無かろうとそもそも子育てに参加できるような状態ではないという男性も多いことだろう。
 なんで読んだのか失念したのではあるが、徳川幕府時代の江戸では、結構男性が子育てに関わっていたというのを見たような気はする。江戸なんて、火事でも起きなければただの人口が多いだけの都市で、商業活動の中心であった大坂と違って、政治の中心地であったから、そもそも生産的な活動があったわけでもなく、そんなに仕事があったわけでもないんだろう。江戸は男性が70%も占めていたわけで、そりゃ暇を持て余した男が子育てにかなり関与していたっておかしくはない。要旨として日本の男性は昔は子育てに協力的だったらしい。
 で、昨日の例や投書だけで判断してもいけないのではあるが、女性の恨みがましい意見ってのはあさましい。とはいっても、女性全体がダメって言うわけではなくって、むしろ昔から男性と同じように仕事をこなし、しかも家事・子育ても全部引き受けている、男性ですらはだしで逃げ出すような素晴らしい女性も数多く(今も)いるわけだ。そういう女性が悲鳴をあげている場合もあろうし、たいした仕事もしていないのに、文句ばっかりいう女性もいるのだろう。
 そもそも戦前の軍国主義の主張でもあった、「男は仕事、女は家庭」っていう主義が、国民を戦争に駆り立てるためのおためごかしなわけだ。男は仕事っていったって、実際には男を戦場に駆り出すっていうのが本音で、家庭を離れて戦場に赴いた男性が、家に取り残された妻が不倫でもしやしないかという不安を政府が払拭するために、「女性は銃後の守り、つまり家庭を守って貞淑であれ」といったわけだ。もちろんこのイデオロギーは戦後の経済成長期にも通用する。残業を厭わず、男性に家への執着を断って会社で働かせるためには、妻が夫の居ぬ間に不倫などせず、家庭をまもって貞淑でなければならない。
 そういう幻想を守るためには、女性に専業主婦であってもらわなければならず、特に経済成長期は妻が専業主婦であっても経済的に成り立つように昇給を毎年実施できるだけの原資が稼げたこともあって、会社自体もそういうシステムを保護してきた。しかし、歴史的にみると、むしろ夫だけが働いて、妻が家庭を守っているだけで済んだという時代は、農業国であった時代がはるかに長かったわが国では、実は例外にあたる。よく言われるモデルは、一族の中で一番体力的に重労働に適している年齢層である夫婦は農作業に専従し、子供は夫婦の親、つまり子供にとっては祖父母が育てるという構造である。ついでに言わせてもらえば、農村社会では夫と妻が切り離されて働くという状態ですらほとんどありえない。
 だから、妻の視点で言えば、「亭主元気で留守がいい」とまで言われた時代ってのは、ながい歴史の中では女性がかなり優遇されていたという、本当にラッキーな時代だったわけだ。女性が働かずとも家事、それも電気製品に囲まれてほとんど仕事らしい仕事ですらない家事と、子育てだけで済んだという、史上稀に見る幸運な時代だ。特に1990年代前半は、専業主婦が夫が子育てに参加しないと不平不満を言っても、それがまともに取り上げられるという、良く考えたらおかしくね?という史上稀に見る女性優遇の時代であったわけだ。
 しかし、土光臨調あたりからの、女性を労働力に駆り立てるという方針からフェミニズムという「女性に対して仕事に自己実現を見出せ、労働力としてこき使う」という自民党の方針にまんまと踊らされたのがきっかけで、今はそれだけ働く人が増え、労働単価が切り詰められるだけ切り詰められ、「なんでこんなことに」という状態になっているんだろう。いざ女性が働き出してみると、男性ほどの責任を負いたくないが、かといって、仕事に追いまくられるという状態に落ちぶれたくもない、まだまだ子供をダシにキツい仕事から逃れられる雰囲気でもあるし、実際仕事と子育ての両立ってのは凄く大変…という、自分の生きがいを重んじるばっかりに、先の見通しも無く突撃して、今更ながらに後悔している女性がたくさん居るのだと思う。自分がバカなのに、いざ大声をだして個人の生きがいとやらを主張して、自分が責任を持つ立場になってみれば凄く大変で、その苦痛から逃れるために男性にも子育て、家事をやれといっているんだろう。
 前述した通り、実は男性以上に仕事・家事・子育てをやっている女性もいるだろうし、そもそもはじめっからその覚悟が無いのなら黙っておとなしく専業主婦をやってればいいものを、自民党のおためごかしに騙されて企業の奴隷にさせられて後悔、もしくはそれを認めたくなくて、中途半端な仕事で周囲に迷惑をかけている女性もたくさん居るんだと思う。特に、1980年代あたりから労働力化した女性、つまり今の30〜40台あたりが自分の浅はかさを棚にあげて、害悪を社会に撒き散らしているのが現状なんだと思う。病院の産婦人科・小児科、もしくは学校に八つ当たりするモンPってのは大抵そうなんだと思う。
 かといって、そういう社会にした自民党を何とかしたいというわけでもなさそうなんだよな。小泉改革を支持したB層に、そういう人たちが多いってのは典型なんだと思う。冷静に物を考えることができないから、勢いで自分の人生を刹那的なことに賭けるし、自民党あたりのおためごかしに騙されやすい。で、自民党のような強権的なものには逆らえなくて、本来味方にしなきゃならないのに、手近にストレス解消できるからといって、身近な人に八つ当たりして、その集積である社会全体を崩壊させる。こういうことに実は男女って関係ないと思うんだけど、やっぱ“バカって罪”だよなぁ。