今日のいきいきホットライン

 今日のゲストに関する言及はあまりない。たぶん住民として何をすべきか?という点において本当のことを言ってしまったら、10倍返しのクレームが来るからゲストは本質に迫ることを言ってないだろうからだ。言いたいことがそもそも回りくどいというか、極力悟られないよう気をつけている以上、特にこの番組の主なターゲット層である主婦層にメッセージが伝わっている可能性は極端に低いどころか、場合によっては逆に取られてしまっているかもしれない。
 私も実は今日あたり気がついたのだが、結局問題はなんなの?というところに尽きる。私も盛大に勘違いしていたのだが、特に公務員バッシングという誘導がなされていたので、ほとんどの人が勘違いをしていたんではなかろうか?。そういった意味では、月木のゲストは全然本質をわかっていなかったっぽくて、火曜はちょっと微妙なんだが、結果からするとたぶんわかっているんだろうなという感じで、水金はたぶん本質そのものズバリをわかっているんだろうけど、クレーマーを避けるためにうまくはぐらかしていたんだろうなと。行政改革*1という名前がまた紛らわしい。そして(多分)真の犯人がわからないような構成になっているんだろうと思う。本質についていえば、自分はきっと「自治」が解答なんだろうと思ったのだが、それも違うっぽい。
 結局なにが問題か?と言えば、それは結局「無い袖は振れない」ということに尽きると思う。もっと実もフタもねぇ言い方をすれば「金がねぇ」。もっと真に近い言い方をすれば「金がないどころか借金だらけで、もうあなたたちの我儘を聞くことが出来ません」というもの。
 特に紛らわしいのが、行政改革という名前がそう。改革だから旧弊を新しいものに変えれば良くなると考えがちなんだが、じゃぁ悪い旧弊って何?と言われて具体的な事は何一つ語られない。決定的にみんなを勘違いさせているのが「住民サーヴィスの向上」。実はこれが曲者。行政改革をやるということは実は住民サーヴィスの低下が解決策となる。
 そりゃもちろん各地方自治体の住民にとって、「住民サーヴィスの向上」が出来るのならそれに越した事はない。そして、何年前というか何十年前から住民の欲求に応えることが善とされ、どんどんサーヴィス拡張がなされつづけてきたのだ。そして金がなくても住民サーヴィスの向上を訴えられ、しかたがないから借金までしてサーヴィス向上に応え、それでもサーヴィス向上がやまないから公務員の給料を下げ、残業手当を渋り、安くこき使ってサーヴィス向上に応え、今公務員が住民のあまりの欲深さに疲弊している段階。
 もちろん、住民サーヴィスが向上する事は悪くないから、出来るものならしたらいい。とにかく住民の欲望に応えるためにハコ物が必要なら建てればいいんだよ。実はハコ物行政は条件が揃えば全然悪くないのだ。新しい建築で業者も潤うし、維持するのにも人がいるから雇用が生まれる。すなわち働く場所ができるのだ。その地方自治体に土地がなければどうすればいいのか?。山を切り崩すなり埋め立てをするなりしたらいい。その工事のためにまた仕事ができるので雇用が生まれる。環境が悪化するのであれば対策をすればいいだけの話である。なんの悪いことがあろうか?。介護が欲しいといえばそれに応えるのが行政の使命であり、ちゃんと応えればいいのだ。1人で足りなければ2人雇えばいいだけだ。たくさん雇えば雇用も生まれるし、一人が受ける行政サーヴィスも格段に向上する。公務員がしんどい仕事をさせられていたら給料を大幅にアップして報いてやればいいだけの話だ。倍の給料で足りなければ三倍、三倍で足りなければ要求されるだけ給料をアップすればいい。行政サーヴィスの向上に努めた優良公務員なんだから遠慮する事はない。民間から官民格差がどうのという文句が出るのなら、補助金を出して民間の給料が公務員より多くなるようにしたら良い。その地域に存在する企業なんだったら、当然その企業にも配慮するのが正しい行政サーヴィスなんだから、個人だろうと法人だろうと言われるまゝ対応したらよい。対応する職員にはもちろん十分な報酬を与えればすむ話だ。とにかく地方自治体はその地域に存在するすべての欲求に応えるのが責務であるのだから、そうしたらよい。それこそ究極の行政サーヴィスで、もちろんすべての自治体がそれを目指してがんばれるはずだ。なぜならそれはその地域にすむ住民の切なる願いなのだから。
 金があればな。それも汲めども尽きず、かついくら取り出しても貨幣の価値が目減りしない究極の財源があればな。
 まぁ言ってみれば、金もないのに借金までして、役所の職員に給料以上の仕事を過大なストレス付きで与えているのに、それでも住民はサーヴィスが足りない、サーヴィスが得られないのは役人が無駄遣いしているからだという主張。
 そして住民は受けているサーヴィスに見合う税金を本当に払っているの?と言われれば、ちょっと微妙。例えば月収20万の労働者がいて、最近比率が変わったが、所得税・住民税・健康保険・社会保険・消費税など、すべての税金を取り除くと実は10万強しか残らないらしい。給料明細を見ると、貰っている給料の半分近くを税金で取られているとは思えないんだけど、どうやら保険とか多重にかけられている税金あたりを全部計算するとそのくらいになるらしい。江戸時代じゃないんだから五公五民はねぇだろう?と思うんだが、まぁ重税感は確かにあるわな。しかし年に100万以上の税金を納めていても、実際に地方が集められる税金は10分の1近くにまで減少するわけで、では、その10万で受けられる行政サーヴィスってなんなの?と言われれば、例えば私立(公立の授業料が安いのは、別に補填してもらっているからなだけ)学校の授業料が70万ぐらいだったりするから、ガキの一人でも学校にやっているんだったら、もうそれだけで法外に受益をしているぐらいなのだ。いや、住民税自体が安いからといって、じゃぁ法人税や地方交付金などはよくよく考えたら末端の労働者が生み出した富を中間部分で企業が掠め取っているだけであり、企業が末端の労働者の代行で中間部の税金を払っているといえなくもない。が、住民サーヴィスとは別に学校だけではないわけで、住民が税金を払っているからあれもやれこれもやれという態度は実はそんなに負担してもいないのに我を押し通しているといえなくもない。
 まぁ役人だって金がありゃ住民の期待に応えもすると思うんだわ。バブル後数年して、本当に企業がカツカツになって安定を求めて公務員に殺到した人間は別としても、それ以前に役場に就職した人は公務員になるのはバカだと言われていたわけで、でも待遇が悪いのに公務員になったというのはそれなりに人のためになりたいってヤツも多かったんじゃねぇの?。年金の横領で問題となっているのは、年代として少年犯罪が最高を示していた団塊が多いしな。理不尽な欲求を公務員にぶつけて住民バンザイってのは、実は逆なんじゃねぇの?というわけだ。
 だから、“透明性”とかいってたんじゃないかと思う。「役所としてはやることをすべてやった上で、借金までして住民の我儘に応えているんですよ、もう金が無い所じゃなくって、借金をしているし、その借金が膨らみすぎてもう誰も住民の我儘をかなえるための金を貸してくれるところすらなくなってしまいますよ」というのを情報として住民に「訴える」ことを“透明性”といっているんじゃなかろうかと。あと、“監視”ももしかすると、字義通りの意味だけではないかも。透明性を高めたからといって住民が興味を持ってくれるわけでもない。監視といえば、「どうやら公務員が悪いことをしているらしい。それを許してはいけないからぜひ見てやろう」という気になるものだ。そして実際に予算編成書を見て、実は住民のサーヴィス向上のための予算が自治体の財政を圧迫していて、公務員は無駄遣いをしているのではなく、むしろ何とか破綻を食い止めるために必死になっているだけという現実を見てしまうのを期待しているとか?。
 今、公的機関でダントツに壊れている組織は「学校」で間違いないと思うんだけど、学校が崩壊していくなかで、現場の職員によるさまざまな取り組みがなされて、成功不成功はともかく、ある対応に対する結果が結構出ているわけだ。たぶんその中の成功例に行革派首長は注目したんじゃなかろうかと思う。それは「崩壊した学級を建て直すある方法」である。多分一例だと思うんだが、親は「自分の子に限って」という意識が強く、まさか学級崩壊の原因が自分の子供であるとは絶対思ってないらしい。自分の学校で問題が起こっていると認めたくなくて対応を渋る校長などがいたらアウトなんだけど、崩壊した学級を建て直した方法は「親に見てもらって学級の惨状を確認してもらう」というものであったらしい。現実をつきつけられるとさすがに親としても認めざるを得ず、保護者全員が協力体制を組むというか、親が躾をしっかりするようになって立ち直るらしい。隠すから親も現実をいつまでも把握できずにお花畑の話をするだけになるし、現場は現場で荒れ放題が続いて直るものも治らない状態になるというわけだ。もちろんこの方法ですべてうまくいくはずもないし、大体この手法はもう10年も前の、まだ「学級崩壊」という段階ですんでいた時代の話であって、例えば今のように親が理不尽な要求を恥ずかしげもなく繰り出して来て、教員は政治家の人気取りのために有効な実行手段でさえ持たせてもらえず、教員を守るべき校長や教育委員会すら攻撃側と一緒に現場の教員を袋叩きにする現在は、教育現場ではすでにもう通用しなくなっている。惨状を親に見せても「それを言葉でうまく説明して何とかするのが教員の役割だろうが」と逆ギレされて終わるというだけ。まぁ民間ももっと酷いところもあるが、そういうことかと。すなわち、住民自体が理不尽な欲求をしているために財政が破綻しているんだということを、住民自身が向き合うために“透明性を高める”といっているだけなんだと思う。
 公務員は住民の選んだ首長や代議士の命令を聞いているだけなんで、それは言い方を換えれば住民の欲求通りに仕事をしているだけなのだ。その仕事の結果が悪いというのはむしろ命令の仕方が悪かった、いや金さえありゃ要求はいとも実現しているんだから、地方自治体に存在している金以上の要求を住民自身が公務員に押し付けているだけという視点が欲しいのではないかと思う。
 問題なのは、民間がまた輪をかけて酷い労働条件になっており、住民自身がその地獄で喘いでいるために、そのキツさが標準になってしまっているということなのだ。それは実はその企業がこき使っているというのが悪いだけなのだが、自分のしている苦労を人もしていないと気がすまないという、これまた迷惑な爆弾が公務員に投げられているだけなんだと思う。それは実は企業に向けられるべき怒りのはずなんだが、企業は強く公務員は弱いので、その弱い公務員めがけてバッシングが向いているだけ。まぁ美しい日本伝統のイジめの構造だわな。改革派首長といえども住民に選ばれている以上、住民は強く公務員は弱いので、弱い公務員に対してバッシングをしているだけ。これまた美しい日本伝統のイジめの構造だわな。で、金の流れの中で談合なり利権誘導で政治家やそれと癒着した財界のみがシステムのカツカツの予算の中から金を掠め取ると。まぁホント末端の民間職員と末端の公務員がいがみあってどうするんかと。敵は別にいるだろうがと。

*1:小鼠のいう行政改革とは全くの別物。小鼠のは全くドロボウのことを言う。